ベロニカ

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闇の夜は
苦しきものを
いつしかと
我が待つ月も
早照らぬか

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闇はどうしてこんなにも美しいのだろう。
日が沈んだこの街の空に、闇を飾り立てる星は見えない。くすんだ大気と、町の光がそれを掻き消していく。

園都市《ベロニカ》
山々に囲まれ、外界から隔てられたこの街の夜景は闇という海に浮かぶ島のよう。娯楽が溢れていて、街全体が遊園地のようになっている。

彼女と二人で見た情景を前に、一人佇む。
街の光がどれも小さく見える。ここからすべてを見下ろす私は、まるで神様にでもなった気分。

以前ここに来た日からどれくらいの時間が経ったのだろう。
彼女がいなくなる前と後では、丸ごと別の景色にとっかえたみたいに違って見える。あの日から私だけがこの世界に置き去りにされている。そんな気がした。
遊戯場の東。彼女と過ごした第4地区。その片隅から見下ろす人工銀河。ここから観るベロニカはまるで世界の心臓みたいだ。

たくさんの歯車が回る。街も、人も、どこかで噛み合いながら回り続ける。
噛み合う歯車とはぐれてしまった私は、ずっと動きを止めたままだった。それでも世界は回る。

「あしたは死ぬことにした」
誰かの言葉を口にしてみる。現実味のない言葉だったけれど、それは確かに助けを求めてやみくもに手を伸ばした、私に向けられた彼女の声。

彼女の言葉が、温もりが私を今も生き長らえさせているのに、私はこの場所に来ても何もしてあげられない。

あの帰り道で見た彼女の笑顔は嘘だったのだろうか。
最後の日の帰り道から今日まで、陽の差さない土の中で息を止め続けているような毎日だった。少しでも前に進もうと、人並みの人生を送っていたはずだった。病気がちだった体も昔よりはだいぶ良くなったのに、この痛みは今も癒えない。だが、この痛みだけが彼女と私をつなぐ鎖。決して断ち切れることのない強固なもの。いや、錆びついて動けなくなったのか。

数年前に同じ場所。梅雨の季節。
いつかの彼女の声がする。
『雨が止む頃には暗くなっちゃうね。そろそろ帰ろうか』
その日の景色はずっとぼやけたまま。
『天気予報だともうとっくに晴れてるはずだったのにね。次来るときはちゃんと綺麗な虹見せてあげる』
『うん』
『自ら願って生まれたわけじゃない。歩き疲れたなら立ち止まって泣いてもいいんだよ』
出番のなかったスケッチブックを鞄に仕舞う。私を元気づけるために連れてきてくれたのをわかってたのに、期待通りの応えを私は返してあげられなかった。
『また来よう』
叶えられない約束をした。

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夕闇は
道たづたづし
月待ちて
行ませ我が背子
その間にも見む

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「私はこの街が好きだけど、生まれてから死ぬまでずっとこの街にいるだなんて、馬鹿げていると思う」
さっき見た映画の舞台は、こことはかけ離れている洗練された近代都市。それが彼女の心に響いたのか、ふとそんなことを言った。
一年前にこの街に来た私と違い彼女はここで生まれ育った。だから"外"への憧れがあるのだろう。
外から来た私にとってはとても新鮮だったけど、そのすべてが彼女が生まれた時から見てきたもの。。どんなに楽しい映画も何回、何十回と観ればつまらなくなる。彼女にとってはこの街は見飽きた映画そのもの。
この風景が、人間模様が、彼女という人間を作ってきた。

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「死んだら......どんな感じなんだろうね」
彼女はそう言った。いい親子関係とは決して言えなかったが、実の父親を失ったことは彼女にとっても少なからずショックだったはずだ。久しぶりに聞いた彼女の声は憂いを帯びていた。
「私あんなに父さんのことを嫌ってたのに、父さんが亡くなる前の日に、今にも意識を失いそうなくらい弱々しい声で私の名前を呼んで...... そんな父さんを見たら涙が止まらなかった。きっと今日が最期の日なんだって、なんとなく感じた。だからせめて最後になる思い出は笑顔見せようって思ったのに」
「たぶん、お父さんもうれしかったはずだよ......うん。誰だって自分のために泣いてくれて嬉しくないわけないよ」
私が返した言葉に彼女は小さく頷いて、それからはお互い何も言わなかった。

彼女は父親を見送った日から、死というものにとらわれているかのようだった。まだ15歳の彼女には、父親の死を背負うにはあまりにも大き過ぎた。

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『今日午後19時頃、△△県〇〇市のアパートで、女性が血を流して倒れているのをアパート大家の男性が発見し、病院に運ばれましたが、まもなく死亡が確認されました。女性はこの家に住む主婦の××××さんで、高校一年生の長女と二人暮らし。長女の行方が分からなくなっていることから、何らかの事情を知っているとみて行方を捜しています――』
遮断するようにテレビの電源を切った。
世間では、この長女が母親を殺害して失踪したのだと考えるに違いない。血が繋がっていないとはいえ、高校生が母親を殺したなんて話題の欲しいマスコミにとっては、恰好の餌食だろう。私も事件を知ったのは、友達という事で警察から事情聴取された時で、彼女が今どうしているかも知る由もなかった。

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世の中に
絶えて桜の
なかりせば
春のこころは
のどけからまし

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棺に眠る彼女の顔を見ても、どうしてか涙は出なかった。
冷たく硬直した陶器のような白い肌。照明を受けて艶やかな光沢を帯びた髪。まるで成功に作られた人形のようだった。私にはそれが彼女であると思えなかった。認めたくなかっただけなのかもしれない。でも確かにその遺影は、忘れもしない私が撮影した彼女の写真だった。

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道化が踊るサーカステント

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