廻想録:II “world”

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この手紙を書こうと思ったのは、
悔やんでいるからでも、憎んでいるからでもない。
ただ今のリノを祝福したい。そう思った。
あなたならきっと夢を叶えると信じていた。

リノは何を原動力に音楽を続けたのかな。
あの頃の私は、ただ誰かに認められたかっただけなのだと思う。
だからあの日、あなたが私の歌で涙を流してくれたことが嬉しかった。

今にして思えば、リノが音楽を始めることは必然だったのかもしれない。
私がどれだけ手を伸ばしても届かないものを、あなたは持っている。

音楽の神様がいるとしたら、その神様に愛されていたのはあなたの方。

あなたの才能を思い知る毎に、凡庸な私が浮き彫りになる。

そんな私に、あなたは羨望してくれた。天才だと言ってくれた。
だから私は最後までそう在ろうとした。

夜の月が尊いのは、唯一無二の存在だからだと、私は思う。
月は一つでいい。

創作は0と1を、無から有を生み出す。

そう思っていたけれど、実際のところは違う。

経験こそが想像、創造につながる。

傷を負うまで、痛みを知ることなんてないのだから。

前にリノが、自分にはユマのような詩は書けないと、そう言ったと思う

それはきっと、ただ私が少しばかり早く色んな苦楽を経験したっていうだけなんだよ。

でも、今のあなたは違う。
あなたは私と遠く離れても、これまでちゃんと生きてきた。
色んな人に出会い、色んな人と別れ、誰かのことを愛したり、憎んだり、汚いものに触れ、美しいものに触れ、嘘をついたり、だまされたり、傷付いたり、傷付けたり、自分を見失うこともあったと思う。
それでも生きている。

あなたの作品は、あなたの人生。
あなたの人生は、あなたの作品。

きっとこれからも、あなたは大丈夫。

どうか強く生きて。

だれかの心臓になれたなら
廻想録:II “world”

彼女からの手紙を握り締めながら、人が疎らな鉄道車両の窓側の席に私は座っていた。

眺める景色から少しずつ大きな建物が減っていって、栄えた都会から故郷へと近づいていくのを感じていた。

それと同時に、あの頃の記憶が滔々と駆けめぐる。

それはもう何年も前のはずだったが、懐かしいものではない。いつだって忘れたことは無かったのだから。

張り詰めたスチール弦の擦れる音。

薄暗い校舎の塔屋。

ペトリコールが漂うコンクリート

囂しい踏切の警鐘。

雨に濡れた廃線

煤けた病棟。

空を分断して聳える送電鉄塔

夕暮れのバス停。

止まったままの観覧車。

どこにでもある、ありふれた光景。自分を取り巻く世界は緩やかに動いていたのに、変わらない日常が延々と続くと思い込んでいた。

今もあの頃のことばかり綴ってしまうのは、未だ私は前を向けていないからだ。

思い出の中を生き続けるのは、きっとさよならを言えていないからだ。

彼女と過ごした一年半の出来事が、映写機からスクリーンに映し出されるみたいに鮮明に目の前に浮かぶ。

その記憶の映像は、私と彼女を少し離れたところから、ファインダーを覗くように眺めている。
襟首当たりの長さで切り揃えた髪型の少女と、濡れた鴉の羽を思わせる美しい黒の長髪をした少女。

あの日——彼女と初めて一つの音楽を奏でた日の情景。

二人は一台のピアノの前に並んで座って鍵盤を鳴らしている。

二人が奏でる追走曲。

彼女の旋律を追いかけたその日から、私はずっと彼女を追いかけている。

私にとって、新しい世界の始まりはあの時からだった。

歩き続ければ暗がりを抜けられる。走り続ければ月にさえ近づける。願い続ければ何もかも叶うと、一片の迷いもなく信じている。

私の目には、彼女がそんな風に映った。

挫けることを知らず、ひたすらに音楽に心血を注ぐ彼女は、眩しくて、気高くて、美しかった。

私は、彼女のようになりたかった。

彼女は間違いなく、私の世界を変える一因だった。

いや、今でも彼女は私の世界の全てと言える。

だれかの心臓になれたなら 廻想録:III “moon” - ユリイ・カノン楽曲 カットアップノベル