少女地獄

youtu.be

正しい生き方の一つも説けないまま、
無様にこの街を呪っているだけだ。
くだらない同情を求めているだけだ。

もうどうしようもないんだ。

どうしたって変わらない過去を恨んで、
どうしたって成れない誰かの人生を羨んでいる

~~~

%E3%81%8F%E3%81%86%E3%81%AF%E3%81%8F(くうはく)

~~~

命の重さは常に変わる。
月曜日。先週末に体調不良で欠席したまま土日を迎えて、四日振りの登校だった。久しぶり......というほどではないのだが、そう思うほどに毎日の学校生活が身体中に染み込んでいるのだと感じた。何もかもいつもと変わらない、それが一生続くと錯覚してしまうくらいに繰り返す日常にまた戻ったと思っていた。。でも今日という日は違った。
この学校の生徒の一人が亡くなった。みんなが悲しそうな顔をしていた。いつもはふざけたことしか言わないクラスメイトもさすがに茶化すこともしない。それはそうだろう。それが毎日ニュース番組やネットの記事で見るようなどこかの誰かのありふれた死だったなら、ほとんどの人は感情に浸ることもない。むしろ自分や身近な人じゃなくて良かった、なんて安堵している。いや、今もそうだろうけれど。それでも人の死というものに直面した体験がない人の方が多い高校生にとって、ましてや同じ年代の同じ学校に通う、ついこの前まで同じように授業を受けていた近しい存在の死は重いのだろう。
全校集会が開かれ、校長先生によるどこかで聞いたことのあるような"命の大切さ"を長々と聞かされていた。そんなことよりみんなが知りたかったのは、死んだその子の死因だとか理由だとかそういうことだったと思う。
次第にその件への哀惜や動揺が薄れていき、案の定学校では様々な憶測や噂が飛び交った。他殺、自殺、事故......私はその子のことを何も知らなかったからそういう推測も正直興味がなかった。
冷たい言い方だが、その時の僕にとってはさほど"重たい死"ではなかった。

~~~

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~~~

ああでもないこうでもない
何が足りないのかもわからないんだ。

どうしてここにいるんだろう。
られない傷口を撫でてはその痛みに悶えている。
然とした焦燥感がじりじりと心の縁から染み込んでくる。

~~~

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~~~

朝の日差しの眩しさと眠気に目を細め、また閉じようとするが時計の針が示す時間が一気に眠気を吹き飛ばした。目覚ましが鳴っていたのも気付かなかったらしい。憂鬱さがまとわりついた体を動かし洗面台に向かう。
鏡に映った自分の腫れたまぶたを見て、昨日、眠るまで泣き続けていたことを思い出し、それからまた自然に涙が溢れてきた。
二週間前、友達が亡くなった。私にとっては唯一無二の親友だった。
この世の終わりだと思った。いっそ自分も死のうかとも考えた。でもその前に確かめたいことがあった。
死体が発見された現場の状況から自殺の可能性が高いと警察は言っていた。彼女の母も私も、彼女が自殺するような子じゃないと考えていた。
もしも、彼女が誰かに殺されたのだとしたら、私は犯人を殺してしまいたいと思っている。そして私も死ぬ。
やり場のない悲しみに紛れて、冷静さを欠いた考えだとはわかってる。でもそれが残された私の役目だと思ったのだ。
もしも、その醜い感情がなければ私はとっくに命を絶っていただろう。彼女のいない世界で、彼女を忘れて生き続けることなんて私には到底できない。
あれから一週間。生きじごくなだけの日々は今日で終わりにする。
冷たい水で顔を何度も覆う。涙を拭って、赤らんだまぶたがひりひりと痛む。
静かに呼吸をする。
今日ははやめに学校に行こう。
リビングにいくと母親がわたしを気遣うように声をかけてきた。適当な返事をしながら朝食の置かれたテーブルのいつも自分が座る席に向かう。
テーブルの上に置かれた封筒が目に入って、すぐに手に取った。私宛で、差出人の名前はなかった。
酷く動揺した。手が震え心臓が早鐘のように打つ。
封筒には住所と宛名だけが書かれていたが、その字は見慣れた彼女の書いた字だと一瞬でわかった。
すぐに封を切って便箋を取り出す。

~~~

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~~~

命の重さは常に変わる。
月曜日。先週末に体調不良で欠席したまま土日を迎えて、四日振りの登校だった。久しぶり......というほどではないのだが、そう思うほどに毎日の学校生活が身体中に染み込んでいるのだと感じた。何もかもいつもと変わらない、それが一生続くと錯覚してしまうくらいに繰り返す日常にまた戻ったと思っていた。。でも今日という日は違った。
この学校の生徒の一人が亡くなった。みんなが悲しそうな顔をしていた。いつもはふざけたことしか言わないクラスメイトもさすがに茶化すこともしない。それはそうだろう。それが毎日ニュース番組やネットの記事で見るようなどこかの誰かのありふれた死だったなら、ほとんどの人は感情に浸ることもない。むしろ自分や身近な人じゃなくて良かった、なんて安堵している。いや、今もそうだろうけれど。それでも人の死というものに直面した体験がない人の方が多い高校生にとって、ましてや同じ年代の同じ学校に通う、ついこの前まで同じように授業を受けていた近しい存在の死は重いのだろう。
全校集会が開かれ、校長先生によるどこかで聞いたことのあるような"命の大切さ"を長々と聞かされていた。そんなことよりみんなが知りたかったのは、死んだその子の死因だとか理由だとかそういうことだったと思う。
次第にその件への哀惜や動揺が薄れていき、案の定学校では様々な憶測や噂が飛び交った。他殺、自殺、事故......私はその子のことを何も知らなかったからそういう推測も正直興味がなかった。
冷たい言い方だが、その時の僕にとってはさほど"重たい死"ではなかった。

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追懐録

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それは空の上。
それは海の底。
それは一面に広がる花々の中。
それは一縷の光も届かない闇の中。
落ちているのか、昇っているのか、止まっているのか、浮かんでいるのか、
思い出の水底。そこに淀むのは眩い程に美しい日々と、鳴り止まない音楽。
彼女は間違いなく、私の世界を変える一因だった。
いや、今でも彼女は——

だれかの心臓になれたなら
audio novel 追懐録

彼女に憧れて音楽を始めて、もう何年になるだろう。
自分の作品の向こうには、いつも彼女が見える。

今もあの頃のことばかりを綴ってしまうのは、未だ私は前を向けていないからだ。
思い出の中を生き続けるのは、きっとさよならを言えてないからだ。

monologue yuma 201*

その頃、私は二つのものに憧れた。

憧れの一つは音楽家で、もう一つは小説家を志す同級生の男の子。

——創作というのはこの世で最も美しいものだと、彼は言った。

その言葉は不思議と私の心を震わせた。

私はその言葉を理解したかった。

一度はやめた音楽をまた始めたのは、彼のように特別になりたかったからだと思う。

そうして私は、ユマとして生きていくことを決めた。

今日も私は歌う、どこかの誰かに届くようにと。

monologue
rino 201*

私は高校生になっても夢の一つすら持っていない。

後に悔いるのが人生なら、いっそ何もないまま終わりたい。

華のない生活で構わない。ドラマにならない人生でいい。

何をしたって、どうせいつかは全部失くなる。それなら最初から何も要らない。

冷たい風。白い息。寂しさを帯びた冬の街。

ふと聴こえた、少女の歌声。

見覚えのある黒い長髪。

彼女の歌は、私の胸を真っ直ぐに貫いた。

空っぽだったはずの私の中から何かが零れた。

monologue
rino 202*

後に彼女から、あの時の歌の名前を教えてもらった。
「生きるよすが
その名の通り、それは私にとってのよすがとなった。

あの頃の出来事が、映写機からスクリーンに映し出されるみたいに目の前に浮かぶ。

その記憶の映像は私と彼女を少し離れたところからファインダーを覗くように眺めている。

二人は一台のピアノの前に並んで座って鍵盤を鳴らす。

二人が奏でる追走曲。

彼女の旋律を追いかけたその日から、私はずっと彼女を追いかけている。

私は私が思っている以上に彼女のことを知らないのかもしれないけれど、

私の目には誰よりも特別な存在に映った。

挫けることを知らず、ひたすらに音楽に心血を注ぐ彼女は、

眩しくて、気高くて、美しかった。

私は、彼女のようになりたかった。

monologue 
yuma 201*

リノの歌を思い出していた。

自分は特別なんかじゃないと、改めて思い知る。

音楽の神様がいるとしたら、その神様に愛されていたのは彼女の方だろう。

何を書いても、何を歌っても、焦燥感が拭えない。

見えるもの全てが歪んでいく。

いつの間にかどこかへ迷い込んでしまった。

呼吸さえままならない。

だけど、まだ生きている。

どうか私を見つけてほしい。

誰の心も照らせない。
その光に気付いてすらもらえない。

真昼の月だ。

monologue
rino 202*

真昼の月

それを見る度、在りし日の彼女と、彼女の言葉を思い出す。

創作というのは、この世で最も美しいものだと思う——と、いつか彼女は言った。

今なら、その言葉の意味が少しはわかる気がする。

彼女の意思に寄り添うように、そして彼女を少しでも理解したくて、音楽を続けてきた。

そこに何か救いがあるのだと思い込んでいた。

彼女は、私に《リノ》という名前をくれた。

楽家としての私の名前。それはもう一人の私。それは本当の私。

それは偽りの私。

彼女を歌にした日から、また世界は形を変えてしまった気がした。それはあらゆる意味で。

思い出がお金に変わっていく。私はこんなことのために音楽を始めたのだろうか。

私自身に、本当の価値なんて無いように思う。

所詮は彼女の真似事をしているだけ。彼女に倣うだけの、偽物だ。

monologue
yuma 201*

幸せの代償、夢の対価。

私の人生で払えるものはもう無い。

身の程知らずの私が、夢を見た結果だ。

高くへと這い上がる程、落ちた時の痛みは増す。

創作を始めてからの五年間、そこからは私の人生の全てと言っていい程、色んなことがあった。

現実は物語のようには上手くいかない。

音のない世界。

自分の声すらも聴こえない。

生きる理由はもう無い。

リノ。あなたは自分の才能を信じていないけれど、私にはわかる。

いつか世界があなたを見つける。

だから、どうか歌い続けて。

私は——音楽の神様があなたを導くためのきっかけだった。

そう、神様の思し召し。なんて考えるのはどうだろう。

それなら、私の人生にも意味があったと思える気がする。

あなたが歌うなら。

monologue
rino 202*

『生きる理由を見つけるというのは、同時に死ぬ理由も見つけるということを、その頃の私は知らなかった』

彼女の残した言葉が、頭を巡る。

生きている限り、彼女の気持ちを本当に理解することなんて出来ないのかもしれない

わからない。

でも、

『リノ、あなたは大丈夫』

それでも、

『どうか強く生きて』

ユマ、

あなたに生きていてほしかった。

音楽なんてどうだっていいじゃないか。

私は——

どんな世界も、あなたがいるから生きていたいって思えたんだよ。

『あなたの作品は、あなたの人生。あなたの人生は、あなたの作品』

それがユマの選んだ結末なんだね。

あなたにとっては、どんなものものも音楽には敵わなかった。

私は、彼女とは違う生き方をする。

誰かの為でも、自分の為でもいい、

私は生きる。

ユマ、あなたの言う通り、音楽で世界は救えないのかもしれない。

それでも——少なくとも私は、

あなたの音楽で救われたと思っている。

思い出の水底。そこに淀むのは眩い程に美しい日々と、鳴り止まない音楽。

彼女は間違いなく、私の世界を変える一因だった。

いや、今でも彼女は——

 

 

廻想録:III “moon”

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「音楽で世界を救う……とか?」

「いつかは私も誰かにとっての何かに、……そんな風になりたい」

だれかの心臓になれたなら
廻想録:III “moon”

物数ならぬ日常の些細な閑談の中の、彼女の言葉を思い出す。

彼女は時折、私が思いもしないような話をする。それは思索的で、どこか哲学めいたもの。

いつも、彼女は私とは違う世界を見ているような、ずっと遠くの何かを観ている気がした。

どこかにいる誰かのことを思っているような、物憂げな表情で遠くを見つめる。

そんな、彼女の読めない横顔を見る度に、なぜか胸が締め付けられる感覚がした。

創作というのは、この世で最も美しいものだと思う——

と、いつか彼女は言った。

今なら、その言葉の意味が少しはわかる気がする。

彼女の意思に寄り添うように、そして彼女を少しでも理解したくて、音楽を続けてきた。

そこに何かを救いがあるのだと思い込んでいた。

彼女は、自身の作品を真昼の月だと称した。

慥にそこにあるのに、何も照らすことができないのだと。

そんなことはないんだよ、ユマ。

私はあなたが灯した月明かりを頼りに生きてきた。

真昼の月明かり≫

これは、あなたという月を詠んだ歌。

初めて彼女のことを書いたのは、この曲だった。

そして、私が少しばかり世間に知られるきっかけになったのも、この曲だった。

勤めていた会社を辞め、都会に出て、本格的にシンガーソングライターとして生きていくことを決意したのも、この曲で少なくないお金を得たからだ。

けれど、

彼女のことを書いた作品に値がつくことに、

彼女を使ってお金儲けをしていることに、

行き場の無い複雑な感情を抱いていた。

訪れた彼女の部屋は、彼女が  生活をしていた当時のままにされていた。

まるで、ここだけ時間が止まっているようだった。

そこで見つけた彼女の日記。

そして、彼女が潰した最後の作品。

歌詞もメロディも途中までしか無い、未完成の曲。

その歌に私は彼女を綴る。

その曲の名は、

劇中曲

『白夜』
『だれかの心臓になれたなら』
真昼の月明かり』
『新世界から』
『月が満ちる』

だれかの心臓になれたなら 追懐録 - ユリイ・カノン楽曲 カットアップノベル

廻想録:II “world”

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この手紙を書こうと思ったのは、
悔やんでいるからでも、憎んでいるからでもない。
ただ今のリノを祝福したい。そう思った。
あなたならきっと夢を叶えると信じていた。

リノは何を原動力に音楽を続けたのかな。
あの頃の私は、ただ誰かに認められたかっただけなのだと思う。
だからあの日、あなたが私の歌で涙を流してくれたことが嬉しかった。

今にして思えば、リノが音楽を始めることは必然だったのかもしれない。
私がどれだけ手を伸ばしても届かないものを、あなたは持っている。

音楽の神様がいるとしたら、その神様に愛されていたのはあなたの方。

あなたの才能を思い知る毎に、凡庸な私が浮き彫りになる。

そんな私に、あなたは羨望してくれた。天才だと言ってくれた。
だから私は最後までそう在ろうとした。

夜の月が尊いのは、唯一無二の存在だからだと、私は思う。
月は一つでいい。

創作は0と1を、無から有を生み出す。

そう思っていたけれど、実際のところは違う。

経験こそが想像、創造につながる。

傷を負うまで、痛みを知ることなんてないのだから。

前にリノが、自分にはユマのような詩は書けないと、そう言ったと思う

それはきっと、ただ私が少しばかり早く色んな苦楽を経験したっていうだけなんだよ。

でも、今のあなたは違う。
あなたは私と遠く離れても、これまでちゃんと生きてきた。
色んな人に出会い、色んな人と別れ、誰かのことを愛したり、憎んだり、汚いものに触れ、美しいものに触れ、嘘をついたり、だまされたり、傷付いたり、傷付けたり、自分を見失うこともあったと思う。
それでも生きている。

あなたの作品は、あなたの人生。
あなたの人生は、あなたの作品。

きっとこれからも、あなたは大丈夫。

どうか強く生きて。

だれかの心臓になれたなら
廻想録:II “world”

彼女からの手紙を握り締めながら、人が疎らな鉄道車両の窓側の席に私は座っていた。

眺める景色から少しずつ大きな建物が減っていって、栄えた都会から故郷へと近づいていくのを感じていた。

それと同時に、あの頃の記憶が滔々と駆けめぐる。

それはもう何年も前のはずだったが、懐かしいものではない。いつだって忘れたことは無かったのだから。

張り詰めたスチール弦の擦れる音。

薄暗い校舎の塔屋。

ペトリコールが漂うコンクリート

囂しい踏切の警鐘。

雨に濡れた廃線

煤けた病棟。

空を分断して聳える送電鉄塔

夕暮れのバス停。

止まったままの観覧車。

どこにでもある、ありふれた光景。自分を取り巻く世界は緩やかに動いていたのに、変わらない日常が延々と続くと思い込んでいた。

今もあの頃のことばかり綴ってしまうのは、未だ私は前を向けていないからだ。

思い出の中を生き続けるのは、きっとさよならを言えていないからだ。

彼女と過ごした一年半の出来事が、映写機からスクリーンに映し出されるみたいに鮮明に目の前に浮かぶ。

その記憶の映像は、私と彼女を少し離れたところから、ファインダーを覗くように眺めている。
襟首当たりの長さで切り揃えた髪型の少女と、濡れた鴉の羽を思わせる美しい黒の長髪をした少女。

あの日——彼女と初めて一つの音楽を奏でた日の情景。

二人は一台のピアノの前に並んで座って鍵盤を鳴らしている。

二人が奏でる追走曲。

彼女の旋律を追いかけたその日から、私はずっと彼女を追いかけている。

私にとって、新しい世界の始まりはあの時からだった。

歩き続ければ暗がりを抜けられる。走り続ければ月にさえ近づける。願い続ければ何もかも叶うと、一片の迷いもなく信じている。

私の目には、彼女がそんな風に映った。

挫けることを知らず、ひたすらに音楽に心血を注ぐ彼女は、眩しくて、気高くて、美しかった。

私は、彼女のようになりたかった。

彼女は間違いなく、私の世界を変える一因だった。

いや、今でも彼女は私の世界の全てと言える。

だれかの心臓になれたなら 廻想録:III “moon” - ユリイ・カノン楽曲 カットアップノベル

廻想録:I “if”

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高い建物に四方を囲まれた、都市部の狭い空の下。

大気には初冬の気配を醸し出す粉雪が静かに舞い、積もることなく溶けていくそれが地面を僅かに濡らしている。

たくさんの人が行き交う、百貨店の前の小さな広場。
そこで私は、初めて彼女の歌を聞いた。

だれかの心臓になれたなら
廻想録:I “if”

透き通るような声をしながらも力強く、伸びやかで美しい歌声。

冬の冷えた空気を震わせながら伝うそれが、私の耳を通り躰中に染み渡っていく。

学生に服を着て、アコースティックギターを弾きながら歌う、美しい長髪の少女。

後に彼女から、あの時の歌の名前を教えてもらった。

『生きるよすが

その名の通り、それは私にとってのよすがとなった。

彼女に憧れて音楽を始め、気が付けばもう6年程が経った。

彼女は、私に≪リノ≫という名前をくれた。
楽家としての私の名前。それはもう一人の私。
それは本当の私。それは偽りの私。

その名前が今、街頭の巨大なディスプレイに映し出されている。私はそれを見上げながら、物思いに耽っていた。

私自身に、本当の価値なんて無いように思う。所詮は彼女の真似事をしているだけ。彼女に倣うだけの、偽物だ。

書き込んだ五線譜の中にも、詩を書いたノートの中にも、私はずっと彼女の面影を見ている。
ただ彼女を追いかけているだけだ。
リノという存在は彼女が作ったものと言ってもいい。

音楽の神様がいるとしたら、その神様に愛されていたのはきっと彼女の方だ。
なぜ彼女ではなく、私が生きているのか。今もわからない。

彼女と言葉を交わした最後の日。遮断桿の向こうで笑みを浮かべる彼女の姿が、今も灼きついて離れない。

また彼女のことを歌にした。もう彼女も呆れていると思う。
でも、それでも、何度だって彼女を綴る。

全てが過去に、思い出になって遠ざかっていく。時が経つにつれ、まるで何もかも最初からなかったみたいになるのが怖かった。

悲しみを乗り越えるだとか、前に進むだとか、私にはどうだってよかった。
何とも思ってない、なんて自分に言い聞かせて、そうして大人ぶったところで、結局全部嘘でしかないし、もっと大切なものを失くしてしまうような気がした。

言いたいことなんて本当は何もないのかもしれない。このどうしようもない気持ちが、行き場のない思いが、無様に命が叫んでいるだけだ。

全部嘘なんだ。偽物なんだ。こんな歌を歌う度に、彼女の言葉は私の爛れた内殻を突き破っていく。

彼女と初めて会った日のことを、私はよく覚えている。雨の日のバス停。傘を差し出してくれた彼女。

あの日の天気予報を知っていたら、あの時間のバスに乗らなかったら、それだけで全てが違っていたのかもと、今になって思う。

それは間違っていたのだろうか。正しかったのだろうか。

正解なんて無い。きっと彼女ならそう言う。

そして、間違いだってないのだと。

彼女と会わなければ、あの日は何の変哲も無い、ただ過ぎていくだけのありふれた日常の一片でしか無かったと思う。

歩き慣れた道から見える景色も、聞き馴染んだ曲の歌詞も、よく知っている物語も、彼女と出会ってからは違ったものになった。

そして、彼女を失ってからも。

ねえ、ユマ。

こんな命が無ければ、私たちは最初から何も失うこともなかったのかな。

傷も、過ちも、悲しみも、苦しさも、嘘も、痛みも、知らないままでいられたのかな。

こんな命が無ければ——

だれかの心臓になれたなら 廻想録:II “world” - ユリイ・カノン楽曲 カットアップノベル

対象x

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過去が現在に影響を与えるように、未来も現在に影響を与える。

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いつだって、命より大事なものはそこにあって、

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口に出せないまま 息を詰まらせている

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正解かどうかじゃなく、それじゃなきゃ駄目だと思ったんだ。

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スーサイドパレヱド

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―最初で最後の幸福―

彼女は自分の人生を恨んだ。
遊ぶことに夢中になって、帰るのが遅くなった泥だらけの自分を優しく叱ってくれる母親が欲しかった。

彼女は自分の人生を恨んだ。
誰よりも勉強してとった、クラスで一番のテストの点数を褒めてくれる父親が欲しかった。

彼女は自分の人生を恨んだ。
暖かい食卓を囲む家族が欲しかった。おはようを言ってくれる家族が欲しかった。おやすみを言ってくれる家族が欲しかった。

家族が欲しかった。

彼女はまだ知らない。

朝。彼女はいつものように家にいる誰よりも早く起きて、学校行きのバスに乗る。私がいつも座るのは後ろから二番目の窓辺の席。だが今日は先客がいた。そこに座る少女は彼女と同じ制服を着ているが、初めて見る子だった。彼女は迷った末に隣に座る。少女は彼女の気配に気づいたのか窓側から彼女の方へ一瞬視線が移ったが、また外の景色へと戻る。
学校へと一番近いバス停が見えて、二人は同じタイミングで立ち上がると強い雨が急に降り出してきた。傘を持っていなかった彼女はバスを降りるとひとまずバス停の屋根の下へと逃げ込む。まだ時間もあるから、止むまで様子を見ようかと考えながら立ち尽くしていた時だった。
「一緒に行こう」
バスで乗り合わせた少女が赤い傘を彼女の頭上に差し掛ける。
「あ......うん、ありがとう」
高校一年。街の木々の紅葉が散り始めた冬の前のことだった。

彼女はまだ知らない。

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Enigmatic Fake mythlogy

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―劣等人間―

鋭い衝撃音が重く響いた。
その音を発した銃を手にするのは軍服に身を包む少年。目の前で玉座へ座りながら額より血を流しているのはその父親。死んだ父親と同じくらい、少年の目は精気のない無機質なものに見える。

硝煙がゆっくりと空気に溶けていく。自ら師事し、鍛えてきた銃術で殺されるとはなんて皮肉だろう。
「さよならだ」
さっきの父上の言葉への返答。もうすでに聞こえちゃいない。育てられた恩はあるが真実を知った今、罪悪感なんてものは1ミリも無い。目的を遂げる為に必要なことの一つに過ぎないのだから。それに玉座に座ったまま死ねるなんて、皇帝らしい死に様じゃないか。いくらその肉体を機会に変えて延命したって、こんなにあっけなく死んでしまうって虚しいものだ。

少し前まで父上だったそれを玉座から引きずり下ろし、そっと玉座へ腰掛けてみる。今まさにここは僕の場所になったのだ。邪魔者はもういない。この国も、軍も、民も、すべてが僕の思いのままになる。
もう僕は劣等な人間ではない。はじめは自分の正体に慄いたがこれこそ僕が欲していたものなのだ。恐れるものはなにもない。

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1st song

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―幽霊塔から彼女は見ている―

窓の外に見える塔を眺めながら、気怠い授業を受けていた。当然内容は頭に入ってきていない。
雨。
蓋をしたように空を覆い尽くす灰色の雲はほんの僅かな光も漏らさない。
あの塔はその雲の壁に突き刺さったみたいに高く聳える。こんな風に天気が悪い日は塔の頂上がが見えなくなって、霧が深いとその姿もほとんど見えなくなる。通称"幽霊塔"人智を超えたあの塔は百年以上前に造られたという。塔にはこの国の建国者である大魔女が祀られているらしい。大魔女の魔力によって作り出されている魔力の障壁によって悪いものが寄り付かないとかなんとか、幼い頃からずっと「いつでも大魔女様が見てるから悪いことはしちゃいけない」と、たしなめられてきたっけ。
おばあさまの更におばあさまが生きてた頃の女王様がその大魔女様。大魔女様が繰り出した魔術で瞬く間に百もの兵を焼き尽くしたとかそんな伝説を聞いたことがある。教科書や伝承の中の人って感じで、なんとなく現実味がない。
こうやって授業を受けながらうわのそらになってるのも、大魔女様は見てるのかな。静かに笑いが口から洩れる。
今日も何も無いといいな。

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Suicide Parade

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どうか 醜いくらいに美しい愛でこの心を抉ってくれよ

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―均したプロパガンダ

もう何年も補修されていない、無数のひび割れや欠けがあるものが並ぶ街。帝国の中で最も多くの貧困層が居住する地区。その街の中心にある広場に集まった群衆の目線の先にあるのは、帝国の皇太子。
先の大戦から100年、この星の50%以上の大地は未だ死んだままだ。今、我々が生きているのはただの幸運か?いや違う。我々の先祖がどの国の人間よりも優れていたからだ。我が国が誇る偉大な科学力は世界を恐怖させた。その科学力を無くして、大戦を生き残ることなどできなかったであろう。しかし、戦争がもたらしたのは勝敗などではない。平和でもない。ただ荒廃した大地と数えきれない犠牲だ。戦後、支配体制が変わったこの国は進化をやめた。進化をやめた生物はいずれ淘汰される。かつて我が国が世界を劫かす程に科学を発達させることが出来たのはなぜか?それは競争だ。他国を出し抜く為、どの国よりも力と繁栄を望んだからだ。国と国とが手を取り合って......等といった思想はとうの昔に死んだ。こんな時代だ。また先日のように力を蓄えたどこかの国がいつここへ攻め込むかもわからないのだ」
一呼吸。そして皇太子はより力強い声を上げる。
「今再び、我々は立ち上がるべきなのだ!競い、守り、奪い、世界一の国へと返り咲くのだ!国民よ、武器を持て!この貧しい生活から、他国からの恐怖から逃れるために!諸君らの体には、世界一を誇った帝国人の血が流れているはずだ!諸君らの力を、この国は欲しているのだ!」
次第に大きくなる拍手。歓呼の声。
「家族を、友人を守りたければ力を得るしかないのだ!今を生きる我々の存在は、ただ死んでいくためにあるのではない。未来へ、子孫へ、その命をつなぐためにあるのだ!まやかしの平和にその身を侵され進化をやめた下劣な人間へと成り下がるか?今こそ!我々は進化すべき時なのだ! 」
鳴り止まない拍手喝采。それは世界を揺り動かす程に。

~~~

戒厳令の夜に生命論は歪む―

壁を埋め尽くすように書かれた文字は、この国の言葉だろうか。言葉というより計算式のようなものにも見える。近づいてみるとそれはすべて血で書かれたものだというのがわかる。"こっちのやつら"のすることはよくわからない。
「手当てはできたか?」
「止血はしました。もういけます」
何とも言えない気味の悪さを覚えながら、後から来た隊員とともにここを後にした。

先の大戦から100年以上、大きな戦争は起きていなかった。前皇帝が崩御され、現皇帝が就任されてからこの国は大きく変わった。国を守るための軍は、攻めるための軍となった。
均衡的な関係を保ってきたこの国へ攻め込むのを、俺は心の中では強く反対していた。公然と"バケモノ"が狩れると言って喜ぶ者も少なからずいた。
宣戦布告もなしに強襲という方法を選んだ現総帥のお考えは正直なところ理解しがたい。この国の歴史上では初めての事だろう。一兵士に過ぎない俺がいくら何を考えたとしても意味はないのだが。

命を投げ打ってでも一人でも多くを殺すのが兵士の役目。この国で兵士の子供として生まれ、兵士として育てられた人間の人生なんてこんなものだろう。無人機たちはこんなこと考えずにただ黙々と命令をこなすだけだ。ある意味羨ましいな。なんて馬鹿なことを考えながら銃を抱えてまた街の中へ、戦地へと向かう。

~~~

―劣等人間―

鋭い衝撃音が重く響いた。
その音を発した銃を手にするのは軍服に身を包む少年。目の前で玉座へ座りながら額より血を流しているのはその父親。死んだ父親と同じくらい、少年の目は精気のない無機質なものに見える。

硝煙がゆっくりと空気に溶けていく。自ら師事し、鍛えてきた銃術で殺されるとはなんて皮肉だろう。
「さよならだ」
さっきの父上の言葉への返答。もうすでに聞こえちゃいない。育てられた恩はあるが真実を知った今、罪悪感なんてものは1ミリも無い。目的を遂げる為に必要なことの一つに過ぎないのだから。それに玉座に座ったまま死ねるなんて、皇帝らしい死に様じゃないか。いくらその肉体を機会に変えて延命したって、こんなにあっけなく死んでしまうって虚しいものだ。

少し前まで父上だったそれを玉座から引きずり下ろし、そっと玉座へ腰掛けてみる。今まさにここは僕の場所になったのだ。邪魔者はもういない。この国も、軍も、民も、すべてが僕の思いのままになる。
もう僕は劣等な人間ではない。はじめは自分の正体に慄いたがこれこそ僕が欲していたものなのだ。恐れるものはなにもない。

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―全部夢だって―

軍靴の音。銃声。爆発音。悲鳴。叫喚。
フードを深くかぶった少女は先ほど転んだ時にできた傷の痛みに顔を歪めながら壁にもたれかかる。

とっさに逃げ込んだこの廃家。逃げることに必死だったから気付かなかったけど、私は昔ここへ来たことがある。なぜだろう、ずっと忘れていた。それはとても大事なことのようで、心の中に何かがつっかえたように感じる。
ぼんやりとしか思い出せないその記憶の中では、私はまだ小さな子どもだった。友達とかくれんぼをして遊んでいて、私はこの廃家にある地下へ続く階段の先にある鉄の扉の部屋へと隠れたんだ。こんなとこ誰も来ないよね、とひそかに笑っていたのも束の間、閉めた鉄の扉が開かなくなったことに気付いた。その頃の小さな力じゃ閉ざされた扉はびくともしない。他に出口も無い。

地下室からでは声を上げても外にはほとんど声は届いていなかった。
それから何時間経ったかわからない。お腹も空いて、私はここでこのまま死んでしまうんだって思って、涙が止まらなくなった。
ゴンゴン。鉄の扉を誰かが叩く。
「そこにいるの!?」と一緒に遊んでいた友達の一人が繰り返し扉を叩く。私はその子の名前を呼びながら、助けを求めた。
「ちょっと扉から離れてて!」
そういうと、扉から大きめの衝撃音が鳴る。扉はまだ開かないその音が何度か繰り返される。
だれか大人の人を呼んできて――と私が言い終わる前だった。重い鉄の扉がゆっくりとこちら側に倒れ、その衝撃で砂埃がぶわっと舞い上がる。
その子の姿を見た瞬間私はすぐに駆け出し、抱きつきながら泣いた。名前を呼びながら、ありがとうと。......なぜか、私はその子の名前を思い出せない。
近くで爆発音がして、ふと我に返る。今は思い出に浸っている状況じゃない。全部夢だって言ってほしい。
あの日のように誰かが私を助けに......なんて考える。そんなことあるはずがない。それでも私は奇跡に縋っていた。

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《レポート#4》
名前  :××××××
年齢  :22歳
性別  :男
出身  :第9地区
実験日 :2118年1月28日21時54分
実験結果:失敗。死亡。

《レポート#5》
名前  :××××××
年齢  :18歳
性別  :男
出身  :第4地区
実験日 :2118年1月28日22時39分
実験結果:成功。第二実験中に死亡。


《レポート#6》
名前  :××××××
年齢  :19歳
性別  :女
出身  :第1地区
実験日 :2118年1月28日23時27分
実験結果:失敗。死亡。


《レポート#13》
名前  :××××××
年齢  :27歳
性別  :女
出身  :第2地区
実験日 :2118年1月29日19時48分
実験結果:失敗。死亡。


《レポート#14》
名前  :××××××
年齢  :18歳
性別  :男
出身  :第5地区
実験日 :2118年1月29日20時14分
実験結果:失敗。死亡。


《レポート#15》
名前  :××××××
年齢  :21歳
性別  :男
出身  :第11地区
実験日 :2118年1月29日22時27分
実験結果:成功。

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―道化―
いくつものカメラに囲まれた部屋。赤錆びた鉄の壁。『道化』と称されたものの前には元が何だったのかもわからないほどにぐちゃぐちゃになった肉塊、肉片が転がっている。スーツ姿の長身の男とその部下たちが、モニター越しにその様子を観ていた。
「現在のところは道化に暴走は見られず、決められた対象以外には反応を示しません。ひとまず成功でしょうか」
「そうだな......」
長身の男は少し微温くなったコーヒーをぐっと飲み干す。
「殺してくれ」
テーブルにコーヒーカップを置こうとする手が止まる。そばにいた部下たちもその声を聴いてぎょっとした顔をしていた。
「今のは......奴が?」
「え、ええ......信じられませんが」
カメラを操作して道化に寄せる。表情は先程と変わらない。何の感情も持たない冷たい人形の目。だが、一つ違ったのはその頬に伝う雫。それは紛れもない涙だった。

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零れた感情を一滴残さず 飲み干してくれ

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―ネビュラの螺旋―
錆びついた鉄塔。海のように広がる砂漠。そんな殺風景な外の景色を見下ろす二人。煙草をくわえた初老の男。軍服の少年。
「我が帝国の前身国に戦後最大規模のカルト教団が存在した。表向きの活動は神への祈り、真理の探究、苦の解決、だが、裏では誘拐、人体実験、武装化などの黒い噂が囁かれていた。教団の活動拠点周辺で短期間に行方不明者が続出。以前から怪しまれていた教団施設へ強制捜査が行われた。証拠を押さえられ、教祖である男と幹部数名が逮捕された。それで教団も解散し、国への脅威となる前に事は解決できたかのように思われた」
灰皿に煙草を置き、また新しい煙草に火をつける。
少年はただまっすぐ窓の外を見ていた。男は煙草を一口吸うと、再び話し始める。
「教祖の死刑が発表された次の日、教徒たちは蜂起した。当時の大統領を拉致し犯行声明を出した。要求は教祖と幹部の開放、教団の亡命、以降教団へ一切関与しないこと。国は要求を飲んだ。それから数十年の間教団は表の歴史に登場しなかったが、とある国が教団と秘密裏に接触、教団が行っていた人体実験、生物兵器化学兵器等、大国の軍事力、技術をも凌ぐ力を手中に収めるために手を組んだ。その国の当時の女王が、後の大魔女だ。人ならざる力で、小国から一気に世界を掌握できるほどの大国へ変貌した。我が帝国と戦争になるまで時間はかからなかった。軍隊を持たない国を除いて、世界の勢力は二分された。東西戦争、100年前の大戦だ。数年に及んだ戦争でこの星の半分は壊滅状態になり、今も完全に復興していない」
「もしも......なんて話に意味はないですが、教団の亡命を許さず、教祖たちの死刑が執行されていたらこの荒廃した世界はなかったのでしょうね」
「元々教団が生まれたのもこの国だ、この国が生んだ罪の一つと言えなくもない」
目の前の景色にあったかもしれない世界を想像してみる。それは昔読んだ小説に出てくる街。観覧車、遊具施設、映画館、遊技場、繁華街。そんな夢のような街。

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或いはテトラの片隅で

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You are all that is dear to me in the world.

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春も半ばを過ぎ、教室を通り抜ける風が微かに温かみを帯び始めた頃。普段と何一つ変わらない放課後。私は生徒会委員の雑務を終わらせると、校舎を支配する喧騒から逃げるようにいつもの屋上へ足を急がせる。

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ひさかたの
雨も降らぬか
蓮葉
溜まれる水の
玉に似たる見む

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屋上にはプールが設置されているのだが、水泳部は人員不足により数年前に廃部、水泳の授業もないこの学校の屋上には誰もいない。
この仄暗い塔屋を抜け出せば、自分だけの世界があった。

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ただ、その日はいつもと違った。
張り詰めたスチール弦が擦れる音、奏でられた和音、細いながらも芯のある優しい歌。
見慣れない女の人がそこにいた。

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我が宿に
咲けるなでしこ
賄はせむ
ゆめ花散るな
いやをちに咲け

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こちらの存在に気付いた彼女は、私と目を合わすとまたすぐに視線を楽譜に戻す。
私は彼女の邪魔にならないように隣のベンチの一番隅に腰を下ろした。
水の無い薄汚れた巨大な水槽を眺めながら、彼女の歌を聴いていた。
次の日も、その次の日も、彼女はそこにいた。

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雨降らず
との曇る夜の
ぬるぬると
恋ひつつ居りき
君待ちがてり

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そんなある日、いつものようにベンチに座っていると、一粒の雫が膝に落ちる。
雨だろうか、なんて考えた途端ぼたぼたと大粒の雨が一斉に振り出して、傘を持っていなかった私は慌てて舎内に戻ろうとした時、そっと雨は遮られる。私の頭上に彼女が傘を差しだしていた。

その日空と地面をつないだ糸筋は、二つの水溜りを引き合わせた。

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今はもう遠いあの日、第4地区の景色はこの世のどこよりも美しく見えた。

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茜色に染まる空の下に並んだ鉄塔が

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み空行く
雲にもがもな
今日行きて
妹に言どひ
明日帰り来む

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まるで巨大な墓標みたいだった。

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ひさかたの
雨は降りしく
なでしこが
いや初花に
恋しき我が背

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『おかえり』と迎えてくれる家庭も、暖かい食卓を囲む家庭も、そんな当たり前のことが、彼女の住む家にはなかった。
両親も、担任の教師も、周りの大人たちもクラスメイトも、彼女には憎く見えていたらしい。
そんな話をしていた時、私のことも嫌い?なんて聞いたら傘を回して静かに笑っていた。

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思ひ出でて
すべなき時は
天雲の
奥処も知らず
恋ひつつぞ居る

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気が付いたときには生活の中で『右に倣え』と意志を奪われていた。
それが当たり前だと育っていつからか、どうして生きているのかってっ疑問を抱くようになった。
誰だってちょっとずつ不幸なできごとと突き当たる。だから自分の不幸を嘆くことなんてない。
どんなに傷ついても彼女は生きていた。そんな彼女が私には必要だった。

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何もない日々に混ざっていって、こうして少しずつ思い出も風化していくのだろうか。寂れた街に広がる、雨上がりの澄み切った空気や、誰かが奏でる未完成な音色、そしてこの第4地区の片隅から眺めるだけが自分の世界の全てだった

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あかねさす
日の暮れゆけば
すべをなみ
千たび嘆きて
恋ひつつぞ居る

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夕闇は
道たづたづし
月待ちて
行ませ我が背子
その間にも見む

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春雨
やまず降る降る
我が恋ふる
人の目すらを
相見せなくに

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黙もあらむ
時も鳴かなむ
ひぐらし
物思ふ時に
鳴きつつもとな

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見わたせば
向ひの野辺の
なでしこの
散らまく惜しも
雨な降りそね

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ひさかたの
雨も降らぬか
蓮葉
溜まれる水の
玉に似たる見む

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陽の差さない土の中で息を止め続けているような毎日だった。
少しでも前に進もうと、人並みの人生を送っていたはずだった。
病気がちだった体も昔よりはだいぶ良くなったのに、この痛みは今も癒えない。

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思ひ出でて
すべなき時は
天雲の
奥処も知らず
恋ひつつぞ居る

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夕焼け空が昏れる蒼に落ちた街に、忘れかけていた誰かの姿を映している。
未だ溶けないわだかまりを消そうとただひたすらに今日まで生きてきた。
気が付けばこの街を出てから3度目の冬を迎えようとしていた。

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黙もあらむ
時も鳴かなむ
ひぐらし
物思ふ時に
鳴きつつもとな

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『自ら願って生まれたわけじゃない。歩き疲れたから立ち止まって泣いてもいい。』
彼女の言葉が、温もりが私を今も生き長らえさせているのに、
私は彼女が消えたこの場所に来ても何もしてあげられない。

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あかねさす
日の暮れゆけば
すべをなみ
千たび嘆きて
恋ひつつぞ居る

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ひさかたの
雨は降りしく
なでしこが
いや初花に
恋しき我が背

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彼女を失ったあの日から、とっくに私は死んでいたんだと今になって思う。心臓をどこかに落としてしまったのだ。この世のどこかに、あるいはこの第4地区の片隅で。

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人は、いつか必ず死ぬということを思い知らなければ、生きているということを実感することもできない。

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《6月》

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いくつかの五月雨雲が通り過ぎ、道行く人達が薄手の服を着るようになり、夏を間近に感じ始めた頃。私の痩せこけた空虚な生活に、ささやかな楽しみができていた。
前よりも軽くなった足取りで喧騒をかき分け、私はいつもの屋上へ向かう。

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ひさかたの
雨も降らぬか
蓮葉
溜まれる水の
玉に似たる見む

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仄暗い校舎の塔屋を抜け出せば、そこにはいつもの彼女が待っていた。
私たちは歌を作っていた。誰かに聴かせるわけでもない、自分達だけの歌を。
小さい頃に親の見栄でピアノを習わされた時はつまらなかったのに、今はこんなにも楽しい
彼女が奏でるギターにでたらめな歌を乗せる、そんな遊びをしていた。
お菓子の歌とか、動物の歌とか、花の歌とか、くだらないものばかりだったけれど。

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雨が降ってきて、私たちは傘の下にいた。
錆びたフェンスから望む街にはいくつも雨傘が咲いていた。
雨の雫がコンクリートにぶつかって跳ねる音がする。
「そろそろ帰ろっか」
「うん」

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我が宿に
咲けるなでしこ
賄はせむ
ゆめ花散るな
いやをちに咲け

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彼女は洗いざらい話した。慰めてほしいわけでも、同情してほしいわけでもなかった。
「明日なんて来なければいいのにね」
しばらく続いた無言を破った突拍子もない言葉。彼女は私の手を握る。
手入れの行き届いた爪、白く細い指。
彼女の決して暖かくないその手は、確かに私に温もりをくれた。

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雨降らず
との曇る夜の
ぬるぬると
恋ひつつ居りき
君待ちがてり

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前に街の片隅の高台からこの地を見下ろした時にした話を思い出す。
いつかどこか遠い場所に行こう。この狭い街から抜け出そう。そんな約束をしたっけ。これから先も二人の人生は続いて言って、それが当然のことなのだと、何の迷いもなく思っていた。

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踏切を渡る途中、カンカンと遮断機の音が響いた途端。
彼女は屋上のベンチに楽譜を忘れたから取りに行くと言い、
先に帰るよう促され返事をする間もなく、矢継ぎ早に彼女が駆けて行く。
二人を隔てるように遮断桿が降り、すぐに電車が通過して彼女の後姿を遮る。
その日以来、私は彼女に会うことはなかった。

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雨の中にいると、あの日のようにそっと彼女が傘を差し出してくれるんじゃないかと思ってしまう。

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み空行く
雲にもがもな
今日行きて
妹に言どひ
明日帰り来む

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明日は雨が降ることを願っていた。

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