ベロニカ

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闇の夜は
苦しきものを
いつしかと
我が待つ月も
早照らぬか

~~~

闇はどうしてこんなにも美しいのだろう。
日が沈んだこの街の空に、闇を飾り立てる星は見えない。くすんだ大気と、町の光がそれを掻き消していく。

園都市《ベロニカ》
山々に囲まれ、外界から隔てられたこの街の夜景は闇という海に浮かぶ島のよう。娯楽が溢れていて、街全体が遊園地のようになっている。

彼女と二人で見た情景を前に、一人佇む。
街の光がどれも小さく見える。ここからすべてを見下ろす私は、まるで神様にでもなった気分。

以前ここに来た日からどれくらいの時間が経ったのだろう。
彼女がいなくなる前と後では、丸ごと別の景色にとっかえたみたいに違って見える。あの日から私だけがこの世界に置き去りにされている。そんな気がした。
遊戯場の東。彼女と過ごした第4地区。その片隅から見下ろす人工銀河。ここから観るベロニカはまるで世界の心臓みたいだ。

たくさんの歯車が回る。街も、人も、どこかで噛み合いながら回り続ける。
噛み合う歯車とはぐれてしまった私は、ずっと動きを止めたままだった。それでも世界は回る。

「あしたは死ぬことにした」
誰かの言葉を口にしてみる。現実味のない言葉だったけれど、それは確かに助けを求めてやみくもに手を伸ばした、私に向けられた彼女の声。

彼女の言葉が、温もりが私を今も生き長らえさせているのに、私はこの場所に来ても何もしてあげられない。

あの帰り道で見た彼女の笑顔は嘘だったのだろうか。
最後の日の帰り道から今日まで、陽の差さない土の中で息を止め続けているような毎日だった。少しでも前に進もうと、人並みの人生を送っていたはずだった。病気がちだった体も昔よりはだいぶ良くなったのに、この痛みは今も癒えない。だが、この痛みだけが彼女と私をつなぐ鎖。決して断ち切れることのない強固なもの。いや、錆びついて動けなくなったのか。

数年前に同じ場所。梅雨の季節。
いつかの彼女の声がする。
『雨が止む頃には暗くなっちゃうね。そろそろ帰ろうか』
その日の景色はずっとぼやけたまま。
『天気予報だともうとっくに晴れてるはずだったのにね。次来るときはちゃんと綺麗な虹見せてあげる』
『うん』
『自ら願って生まれたわけじゃない。歩き疲れたなら立ち止まって泣いてもいいんだよ』
出番のなかったスケッチブックを鞄に仕舞う。私を元気づけるために連れてきてくれたのをわかってたのに、期待通りの応えを私は返してあげられなかった。
『また来よう』
叶えられない約束をした。

~~~

夕闇は
道たづたづし
月待ちて
行ませ我が背子
その間にも見む

~~~

「私はこの街が好きだけど、生まれてから死ぬまでずっとこの街にいるだなんて、馬鹿げていると思う」
さっき見た映画の舞台は、こことはかけ離れている洗練された近代都市。それが彼女の心に響いたのか、ふとそんなことを言った。
一年前にこの街に来た私と違い彼女はここで生まれ育った。だから"外"への憧れがあるのだろう。
外から来た私にとってはとても新鮮だったけど、そのすべてが彼女が生まれた時から見てきたもの。。どんなに楽しい映画も何回、何十回と観ればつまらなくなる。彼女にとってはこの街は見飽きた映画そのもの。
この風景が、人間模様が、彼女という人間を作ってきた。

~~~

「死んだら......どんな感じなんだろうね」
彼女はそう言った。いい親子関係とは決して言えなかったが、実の父親を失ったことは彼女にとっても少なからずショックだったはずだ。久しぶりに聞いた彼女の声は憂いを帯びていた。
「私あんなに父さんのことを嫌ってたのに、父さんが亡くなる前の日に、今にも意識を失いそうなくらい弱々しい声で私の名前を呼んで...... そんな父さんを見たら涙が止まらなかった。きっと今日が最期の日なんだって、なんとなく感じた。だからせめて最後になる思い出は笑顔見せようって思ったのに」
「たぶん、お父さんもうれしかったはずだよ......うん。誰だって自分のために泣いてくれて嬉しくないわけないよ」
私が返した言葉に彼女は小さく頷いて、それからはお互い何も言わなかった。

彼女は父親を見送った日から、死というものにとらわれているかのようだった。まだ15歳の彼女には、父親の死を背負うにはあまりにも大き過ぎた。

~~~

『今日午後19時頃、△△県〇〇市のアパートで、女性が血を流して倒れているのをアパート大家の男性が発見し、病院に運ばれましたが、まもなく死亡が確認されました。女性はこの家に住む主婦の××××さんで、高校一年生の長女と二人暮らし。長女の行方が分からなくなっていることから、何らかの事情を知っているとみて行方を捜しています――』
遮断するようにテレビの電源を切った。
世間では、この長女が母親を殺害して失踪したのだと考えるに違いない。血が繋がっていないとはいえ、高校生が母親を殺したなんて話題の欲しいマスコミにとっては、恰好の餌食だろう。私も事件を知ったのは、友達という事で警察から事情聴取された時で、彼女が今どうしているかも知る由もなかった。

~~~

世の中に
絶えて桜の
なかりせば
春のこころは
のどけからまし

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棺に眠る彼女の顔を見ても、どうしてか涙は出なかった。
冷たく硬直した陶器のような白い肌。照明を受けて艶やかな光沢を帯びた髪。まるで成功に作られた人形のようだった。私にはそれが彼女であると思えなかった。認めたくなかっただけなのかもしれない。でも確かにその遺影は、忘れもしない私が撮影した彼女の写真だった。

~~~

道化が踊るサーカステント

~~~

だれかの心臓になれたなら

youtu.be

神様、もう一度だけあの夢の続きを見させて(あしたは死ぬことにした)

生きる体温をくれた指がほどけて形のない痛みに変わった(或いはテトラの片隅で)

生きる理由も生まれた意味もこのすっからかんな頭じゃわかりゃしない(おどりゃんせ)

だから"こんな世界"なんて嘆く君の瞳に雨上がりの七色を見せてあげる(ベロニカ)

息を止めても心臓は打つ立ち止まっても地球は回る時間は待ってくれない(まほろば少年譚)

甲斐無い心臓を差し出し君を救い出せるすべてを手に入れてもこんな醜い姿を誰が愛してくれる?(スーサイドパレヱド)

思い通りじゃない世界だけど(撫子色ハート)

どうか醜いくらいに美しい愛でこの心を抉ってくれよ(トーデス・トリープ)

~~~

彼女が眠る石の前で

私はただ立ち尽くしていた

雨が降り出しても

私は傘をささずにいた

~~~

心臓が鼓動し、管を通り血液が全身を廻り、肉体は存える。保たれる。続いている。

どうやって心は在り続ける?
幸福と不幸を取り込み融けていく。形を変える。悲喜を噛み締め、吐き出し、また腹を空かせる。

その"心臓"とは?

形は無い。目には見えない。その命を必要とするもの。

君の心が壊れたり、失われていないのは、きっとどこかでその心臓が動いているからだ。

君もだれかの心臓になれる。

どうか強く生きて。

~~~

だれもがここで生まれ ここで命を落とす

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人間だ

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傷が消えてしまうことを

どこかで恐れていた

いつか私も、あの頃を思い出して

悲しみを感じなくなってしまうのではないかと

~~~

肉体が朽ち果てようと

想いは風化しない

彼女は今だってこうして

私の心に血を廻らせる

~~~

 

 

ケセラリズム

―プロローグ―

二十世紀後半。技術革新の進展により此国は大きく発展。国の通貨は世界で最も価値が高いものとなる。
この『二十世紀のゴールドラッシュ』に乗じて一獲千金を求める外国からの移民も増加。不法労働等が問題となった。
国の発展に伴う人口の過密化、労働力の超過供給により貧富の差は広がり、政治と経済を担う新都市の影にいくつものスラム街が犇めくようになる。

各国の核開発競争が激化。東国との関係悪化、頻発する紛争、局地戦などにより、徴兵法が制定される。

産業革命から十数年経った頃。都市外は経済の逼迫から治安が悪化。同時期に致死性の高い伝染病が国内にて発生し、すぐにワクチンの製造が行われるが供給量が十分でない状況が続き、大規模な暴動や内乱が起こる。各主要都市に憲兵軍が配備される。
その後、国民全員が無償での抗ウイルス薬治療とワクチン接種を受けられるようになるが、伝染病の断絶までに犠牲となった数は人工の1%以上にも及んだ。

『二十世紀のゴールドラッシュ』から続いた時代の荒波は次第に収まり、安寧秩序が維持されていくことになる。

二十世紀末。スラム街を中心にとある勢力が拡大を続けていた。実態は不明。新興宗教団体やレジスタンスともいわれ、ある種の都心伝説として民衆の口承と化していた。国を脅かす存在とも噂されながらも団体名も活動内容も不祥であった。一部のマスコミに『カルト集団』として取り沙汰されるも、その不明瞭さから大きな話題にはならなかった。

19XX年 『カルト集団』が起こした事件により国の均衡は崩れ始める。

~~~

人類が自らの意図によって造るもの以外に、人類の運命というものはない。
それゆえに、人類が没落の道を最後までたどらねばならないとは信じない。
――アルベルト・シュバイツァー

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―胎動―

「......高校生?ボス、さすがに僕も子供は殺せませんよ」
書類を手に取りながらトキシックは笑い混じりに言う。
「いや、暗殺じゃなくて誘拐だ。昨日都市の病院に運ばれたんだが、そこから連れ出してきてほしいんだ」
「誘拐ねえ......」
トキシックは書類に張られた写真をもう一度見る。第一印象は『目つきが悪い賢そうな普通の男子高校生』だった。何らかの情報を持っている......もしくは取引材料?そんなことを考えていると、ボスが話を始めた。
「十年前まで、この国は超心理学研究に注力していた。超心理学、PSI......いわゆる超能力を軍事的に利用する為に。諜報活動、暗殺を目的に、子供から老人まで、国中から素質のある人間を集めていた。不思議な力を持っているだの、霊感があるだの、そういった噂を聞きつけて半ば強引に研究へ連れ出していた。このプロジェクトは想像以上の成果を挙げた。しかし、彼らは自由を奪われた。軍にとってはあくまでも道具。特異な能力を持つ危険な存在なだけに、牙を剥くようなことがあってはならない。それをマインドコントロールによって支配したんだ。さらには能力を高めるために過度な精神鍛錬、脳への電磁波、様々な非人道的な実験が行われた」
ボスは短くなった煙草を灰皿の上で潰すと、すぐに次の煙草に火を付け、話を続ける。
「ある日のことだった。研究施設からの通信が途絶え、すぐに調査部隊が向かった。そこには研究員と、警備員の死体だけが残されていた。死因はすべて心臓麻痺。そして数十人はいたという被験者――超能力者が全員いなくなっていた。被験者に関する研究内容、個人情報を記した書類はすべて焼却され、データベースもすべて削除されていた。最高機密のプロジェクトであったが故、機密保持のためにデータは研究施設内にしか無く、関係者は残っていない。被験者の顔も名前も出身地を知る手段は無く、捜査は行われなかった。あるいは被験者達たちの報復を恐れたのか......。ともかくこの研究自体も冷戦が造った負の遺産として闇へと葬られた」
「......なるほど、この高校生は......」
今の話を聞いてトキシックは察する。
「そうだ、事件後に行方不明になった被験者の一人だ」

~~~

―思念―

わたしの一番古い記憶は、わたしを畏怖の目で見る母親の顔だった。

この旅客機が離陸してから、どれくらいが経っただろうか。たくさんの人達と狭い機内に閉じ込められている苦痛、離陸後から続く締め付けるような頭痛。少しでも気を紛らわせるためにポータブルカセットプレイヤーで音楽を聴いていたが、ヘッドホンを通して耳に入ってくる好きな曲さえも煩わしいと思えてくる。

隣で眠る両親を見て、彼女はそっとため息をつく。
傍から見れば、それは家族旅行にでも映っただろう。だが違う。
両親にとってはこれは"見送り"だった。もう会うこともないかもしれないというのに、我が子との別れに惜別の情も無かった。むしろ、我が子を手放せる上に大金ももらえるのだと、得たり賢しといった感情だった。少女はそれを見抜いていた。だが、口にはしなかった。

地方都市でごく平凡な両親のもと生まれた少女は、ごく平凡な生活の中で育った。ある時、母親が持っていた祖母の遺品を手にした少女は、母親しか知り得るはずのない祖母の話を喋ったのだ。驚きとともに、恐怖を感じた。可愛い娘が突如として不気味な存在に思えた。すぐに夫に相談するが、君が話したことを忘れているだけだろう、と取り合ってもらえなかった。
それから少女の不可思議な力は時たま顔を見せるようになり、父親は当初は娘のその力に目を輝かせていた。しかし父親も自分の秘密を知られて以来、言い知れぬ恐怖を感じるようになり、両親も周囲の人間も少しずつ少女を怖れ、疎んじるようになっていく。
少女は物から人の残留思念を読み取る、通称『サイコメトリー』と呼ばれる力を持っていた。感じ取った思念や記憶は彼女の頭の中に映像や写真のように映し出される。幼い彼女には、それが自分の記憶なのか他人の記憶なのかどうかの判別ができなかった。
ある日、少女の噂をどこからか聞きつけたという男が訪ねてきた。男は国家警察を名乗り、少女の力を未解決事件の捜査に役立てたいと両親に説明した。多額の報酬も支払われるだろうという佞弁にのせられ、両親は男が持ってきた書類に疾う疾うと快諾のサインをしていた。
そしてしばらくして、航空券が届いた。

~~~

―邂逅―

また、あの頃の夢を見た。
カーテンの隙間から差し込む光の眩しさに目を細めながら、小さくあくびをする。

混み合った駅の改札を抜け、いつもと同じ時間、同じ電車に乗る、そしているものように窓から見える街を眺めながら静かに到着を待つ。
この路線は沿線に学校が多いので、車内は学生で溢れる。同じくらいの歳の男の子を見て、ふと彼のことを思い出す。

思い出の中の男の子は、とても優しい目をしている。瞼の裏側に映った彼と目が合って、わたしはなんだか泣きそうになる。
もう十年になる。彼とは、子供の頃に住んでいた施設内で出会った。最初に話しかけたのはどっちからだったっけ......忘れた。似た境遇に育ったわたしたちはお互いに唯一の理解者になった。すがるような親近感で、私たちは歩み寄ったのだと思う。
彼と会うまでのわたしは、心のどこかが欠けてしまっていたようだった。私は忌み嫌われる存在なのだと、恥ずべき存在なのだと、だから両親に捨てられたのだと、自分を責め続けていた。泣くことすら忘れていた。ただ絶望するだけの暗い地獄の底で救いの手を差し伸べてくれた彼は、私にとっての生きる理由になった。遠ざかり、薄れゆく子供時代の記憶の中でも、彼への気持ちだけはありありと思い出せる。
彼は今どうしているのだろう。

八時二十分。普段と変わらない時刻に教室に着き、席に座る。教室の後ろで談笑するクラスメイトの話が耳に入ってくる。
「ねえ、先週転校してきたっていう二年生知ってる?」
「あ!あのめちゃくちゃかっこいい子でしょ?見た見た!」
マニュアル通りな女子高生の会話。口を開けば異性の話、恋愛の話。まあ、異性のことを考えていたのは私も同じか。そんなことを考えているうちに先生が来て朝のホームルームが始まった。

~~~

放課後、吹奏楽部に所属するわたしは今日も個人練習のために倉庫から楽器を持ち出し、人気が少ない校舎の裏に向かう。
階段を降りたところで、校舎裏の方から声がして足を止めた。いつもの自分だけの空間に誰かが踏み込んでいることにほんの少し不快感を覚えながら、そっと物陰から様子を見る。そこにはへたり込んだ男の子と、それを囲む男子生徒三人の姿があった。誰が見てもそれは喧嘩......いや、暴力行為だ。
リーダー格であろう大男は、男の子の胸ぐらを掴む。
「わかったか転校生。あんまり目立つ真似はするなよ」
そういうと乱暴に突き放し、三人はその場を去っていった。わたしは無意識のうちに息を殺していたことに気づく。
すぐに男の子のもとへ駆け寄った。
「大丈夫?......すぐに保健室に――」
「いえ、気にしないでください......」
男の子は痛みを堪えるようにしながら立ち上がり、乱れた服を整えると、鞄を肩にかける。
「心配をおかけしてすみません」
一礼し、背を向けて歩き出す男の子に、わたしは何も言えなかった。大丈夫じゃないのは明らかだろう。もっと早くここにきて、止めてあげられていたら......。
後味の悪さを噛み締めながら、わたしはベンチに楽器を置いてその隣に腰を下ろす。
ふと地面を見ると何かが落ちているのに気付いた。近寄り、拾い上げてみる。それは万年筆だった。エングレーブが施され、荘厳で高貴な雰囲気を纏っている。
さっきの男の子のものだろうか、間違いなくあの野蛮な三人組のものではない。ともかく、こんな高価そうな物だ。無くして困っているに違いない。
私は久しぶりに"あの力"を使うことにした。これに宿る残留思念から、きっとヒントが得られるはず。
万年筆を手で包み込むようにして持つ。意識を集中させる。頭の中で映像が映し出される。
《これを持っていれば、いずれまた会える......》
男性が喋る声が聞こえた。靄がかかったように姿はよくわからない。差し出された万年筆を受け取るのは小さな手。子供だ。
《大丈夫。俺はそう簡単に死なないさ》
そういいながら、男性は子供の頭を撫でる。
子供の顔を確認する。......え?
それは......忘れもしない、私の記憶の中の存在。十年以上前に離れ離れになった彼だった。

~~~

decoder

世界 序

ネビュラの螺旋

DThird Eye

Appoptosis

~~~

―44―

もう自分を欺くのは止めにしよう。
「それでも、わたしには戦う理由があります」
「............」
ガスマスクの男は、今にも射抜かんばかりの精悍な目でわたしを見る。思わずたじろぎそうになるが、決して視線は逸らさない。
「んー、そうだなぁ」
男は銃を取り出す。それは回転式拳銃、いわゆるリボルバーだ。蓮根のように穴の開いた円筒の弾倉が回転することで連発を可能にした拳銃。
そして指先に持った弾をこちらに見せながら言う。
「僕たちの仲間になるにはそれなりの覚悟と運が必要でね。君にそれがあるのかをこれで試してもらおうと思う」
一発の弾丸をリボルバーに装填し弾倉を回転させ、わたしの目の前に銃口を向ける。
「一発だ。この銃には一発だけ弾が入っている。こいつを自分の頭に向けながら引き鉄を引いてもらう」
「......ロシアンルーレット......」
映画なんかで見たことがある。命を懸けた運試し。
「この銃に込められている弾丸の数は六発。つまり六分の一の確率で弾は発射され、君は死ぬ。......やるかい?」
構えていた銃を私の腹の前に差し出され、両手で受け取る。想像以上の重さだ。引き鉄を引いて死ぬ確率は六分の一......いや、生きるか死ぬかのどちらかだ。

トキシックは本当にロシアンルーレットをさせるつもりなど無い。どうせできやしない、これで諦めて帰るだろうと思って提案した。いくらやる気があっても、こんなか細い女子高生など戦力にならないし、むしろ足手まといになると考えていた。
「本当に仲間にしてくれるんですよね」
少女は俯きながら尋ねた。
予想外の言葉に驚き、一瞬返答が遅れる。
「......覚悟があるのならね」
トキシックがそう言うと、少女は顔を上げ、銃をこめかみにそっとあてがう。
まっすぐに前を向き、撃鉄を起こす。回転弾倉が回る。引き鉄に指をかける。それに驚く周囲とは裏腹に、少女は猛々しい目で堂々と銃を構えている。

そして少女は引き鉄を引いた。

~~~

―戒律の隷従―

闇が広がっている。意識を取り戻した時、少年は闇の中にいた。随分と長い間眠っていた気がする。そして少年が最初に認識したのは、ここは自分が知らない場所で、椅子に体を縛り付けられているという事。長い眠から目覚めたばかりで意識が鈍っていたからなのか、ただ単に肝が据わっているからなのか、その異常性に気付いても少年は落ち着いた様子だった。
次第に暗闇に目が慣れてきて、周囲を見渡してみる。アンプ、スピーカー、照明機材、鉄柵......。ここはライブハウスだ。ステージと客席の距離も近い小さな会場。そのステージの中央――バンドのボーカリストの立ち位置、客席から最も視線を集められる場所で椅子に縛り付けられていた。
どうにか逃げ出せないか、藻掻こうとするが縛られた体はびくともせず、動くほどに手足に括りつけられた荒縄が皮膚を擦り、痛むだけだ。
その時だった。
目を覚ましたことに気付いたのか、ここに足音が近づいているのを少年は感じた。やがてライブハウス会場の奥の扉が開き、誰かが中に入ってくる。同時に少年を照らすようにステージのライトが点灯する。そして誰かがステージ前に向かってきた。
「おはよう。君が起きるのをまっていた」
その声の主は、下顎から額まで覆ったガスマスクを装着していた。マスク越しにこもった声だったが、二十代以上の男の声に聞こえた。少年は男に対して恐怖心ではなく強い"違和感"を覚えていた。
「......これは誘拐ですか?」
冷静な表情で少年は問う。
「いや、僕達は君に助けてほしいんだよ」
助けてほしいのは俺の方だと少年は思った。
"僕達"ということはこれはこの男一人の犯行ではないわけか。強引に逃げ出すのは難しいかもしれない。少年は一先ずこの男と話をするしかないと考えた。
「俺に何か用が?」
「君の協力が必要なんだ。僕たちは君がどういう人間か理解しているよ」
その言葉に少年は僅かに動揺する。
「......何のことですか。俺はただの高校生です。何もできません。早く家に帰らせてください。」
ふっ、と男は小さく笑った。
「まあそう言わないで。君は三日前に一度死んだんだよ。覚えてないかい?その死に損なった、無益に投げ捨てるはずだった命を今度は有益に使って欲しいんだ」

~~~

三日前に一度死んだ。その言葉を少年はすぐに理解した。いや思い出した。
自分の部屋で、首を吊ろうとしている自分の姿が、頭に浮かび上がる。結んだ縄の輪に首を通し、足元の椅子を蹴った。そこで意識は途切れている。
自分は死ねなかった。
少年は小さな溜息をつく。それは落胆か安堵か、自分にもわからなかった。
「君は部屋で意識を失った状態で家人に発見され、すぐに病院に運ばれた。残念な事に、君は死ねなかった......。縄を結んでいたロフトの柵が折れていたようだね。縄の圧迫による頸動脈洞反射で意識を失った直後には柵が折れていたんだろう。後遺症も無い。良かった良かった」
小馬鹿にするように手を軽く叩く。
「それで、俺が意識を失っているうちに病院から俺を拉致したわけですか......」
「誰が見ても自殺未遂だったからね、そんな精神状態の人間を普通の病院に置いてるわけもなく、君はすぐに閉鎖病棟へ移されることになった。そこを僕たちが連れ出したんだよ」
男はステージ前の鉄柵に肘をかけ、背を向けながら話す。連れ出したのは当然のこととでも言わんばかりの態度だった。
「......協力が必要というのは?」
「僕たちはこの国を、民を、呪縛から解き放つのが目的なんだ」
男の声色が明らかに先程とは変わった。
「呪縛?」
少年がそう聞くと、今度はこちらを向いて言う。
「そうだよ。この国はすでに毒されている。......統制社会。この国に真の自由なんてものはもう無い。『支配人』が監視する世界に人々は生かされている。何の疑いも持たず。それが平和だと信じているんだ」
「統制社会?支配人?......陰謀論ですか?」
当然、少年は男の言うことを素直に信じるはずはなかった。こんな風に自分を拉致、拘束。おまけにガスマスクに黒装束姿の怪しい男の言うことなど尚更だ。
「信じられないのも無理はないよ。だけど事実なんだ。この国を動かしてるのは大統領でも、政府でも、ましてや国民でもない。軍事も政治も経済すらも、ごく少数の強大な権力者たちによって運営されているんだ。国民はその支配人が作る戒律の隷従になった」

~~~

これは洗脳か?いや、男の言葉を真実とするのなら、洗脳を解こうとしていると言った方がいいのか。
「それが事実として、僕には何も関係が無いです」
先生の言葉に、男は数秒間黙り込む。それを言うべきかどうか考えたが、伝えるべきだと思った。
「君の母親と妹が死んだのも、支配人による計画のせいだとしてもかい?」
「......どういうことですか」
誰が聞いてもわかるほどに少年は動揺した声で言った。
「十年前、国内で発生し、大量死を引き起こした伝染病......あれも作為的に仕組まれたものだよ」
確かにその伝染病で、少年の母親と妹は命を落とした。十年が経っても、やり場のない悲しみが少年を苦しめていた。病気だからどうしようもなかったんだと受け入れているつもりでいた。様々な感情が錯綜して少年は口を閉ざす。男は話を続ける。
「いわゆる生物兵器だね、民族浄化ってのもあったけど、本当の目的は殺戮じゃない。その伝染病のワクチン接種こそが支配人の狙いだった。ばら撒かれたウイルスによって死の恐怖を植え付けられた国民は、誰もがワクチンを欲しがる。そのワクチン接種の際に『UMIDチップ』と呼ばれる細胞サイズのマシンを埋め込んだ。すでに発症し、隔離病院で治療していた患者も同様に。それからは国民全員がチップを通して監視、統制されている。そのシステムを生み出すために死に至る病は作られた。そして――」
「俺の家族は犠牲になった......ということですか」
男が言う、支配人の監視統制システムが本当なら、そんなものの為に俺の家族は奪われたのか。少年の心にふつふつと感情が湧いてくる。
「俺は......どうすれば――」
その瞬間、男は柵を踏み越えステージに上がり、少年の前に立つ、男は冷たく光る鉄の塊を少年の額に突きつける。少年はその鉄の塊を初めて目にしたが、それが銃だとすぐに理解した。
「協力する気になったかい?」
「脅しですか?」
男は引き鉄に指を掛けている。それでも少年は臆する様子を見せない。
「君はあの日死んでいるはずだった。今度こそ、君が望んだとおり死ねるよ。僕が引き鉄を引けば簡単にね。それに、僕達も秘密裏の活動をしているんだ。ただで返すわけにはいかない」
この男は本当に撃つつもりだと、少年は理解した。

~~~

ガスマスクのゴーグル越しに見えた男の目は、人を殺す覚悟を秘めた目をしていると感じた。
「もちろん、僕たちが掲げるのは革命なんて綺麗なものじゃあない。目的に為に汚れ仕事や、テロまがいな事もする。......金、復讐、大義、みんなそれぞれ動機は違うけれど、目指しているのは同じだよ」
顎から汗が流れ落ちるのを少年は感じた。
男は一呼吸置き、話を続ける。
「君は命も、復讐心も捨てるのかい?君は憎んでいるはずだ。君の家族を奪った世界を、君を暗がりに追いやった世界を」
男の言葉で少年は頷く。
家族を奪われ、強いられた孤独を。異端者として虐げられた苦痛を、少年は思い出していた。
「俺が死のうとしたのは......人生に、世界に絶望したからだ。そうして俺は一人の人間の命を奪った。でも生きている。この世にしがみついた亡霊だ」
哀しみと絶望が形を変えていく。無数の信管が取り付けられた爆弾のような感情がそこにはあった。それは自分すらも壊しかねない巨大なもの。怒り、憎しみ。
男が自分を利用しようとしているように、自分もこの男を利用すればいい。もうなんだってやってやる。仰せのまま。
「やります。俺にできることがあるなら」
少年は顔を上げて言った。
「......ありがとう」
男は銃を下ろす。
国を呪縛から解き放つとか、そんなことはどうでも良かった。結果的に、この男の思惑通り協力することになるのは不服ではあるが。
男はナイフを取り出し、少年を縛り付けていた縄を切る。
「手荒な真似をして悪かった。でも、こうでもしないと君は聞かなかったろ」
そう言いながら手を差し出す。少年はその手を借りるようにして立ち上がる。長時間拘束されていたせいで体の節々が痛む。
握手をしながら、男は言う。
「あらためて、ようこそ......ネビュラの螺旋へ」
「ネビュラの螺旋?ああ、あなた達の組織ですか」
悪の組織らしい、胡散臭い名前だと思った。
握っていた手を解くと、男は静かに客席側へと降りる。
「それで、あなたの名前は?」
「ここではみんな、偽名や暗号名で呼び合う。組織はあくまでも影の存在だし、構成員にも私生活、表の顔があるんだ」
男は振り向きながら言う。
「トキシック......と呼んでくれ」
「......防毒マスクをつけているのに、名前は毒ですか」
思わず笑ってしまう。
「じゃあ、君の方はどうしようかね......」

~~~

こんな命がなければ

youtu.be

闇の夜は
苦しきものを
いつしかと
我が待つ月も
早も照らぬか

~~~

彼女は自分の人生を恨んだ。
遊ぶことに夢中になって、帰るのが遅くなった泥だらけの自分を優しく叱ってくれる母親が欲しかった。

彼女は自分の人生を恨んだ。
誰よりも勉強してとった、クラスで一番のテストの点数を褒めてくれる父親が欲しかった。

彼女は自分の人生を恨んだ。
暖かい食卓を囲む家族が欲しかった。おはようを言ってくれる家族が欲しかった。おやすみを言ってくれる家族が欲しかった。

家族が欲しかった。

彼女はまだ知らない。

朝。私はいつものように家にいる誰よりも早く起きて、学校行きのバスに乗る。私がいつも座るのは後ろから二番目の窓辺の席。だが今日は先客がいた。そこに座る女の子は私と同じ制服を着ているが、初めて見る子だった。私は迷った末に隣に座る。女の子は私の気配に気づいて窓側から私の方へ一瞬視線が移ったが、また外の景色へと戻る。
学校へと一番近いバス停が見えて、私と隣の子は同じタイミングで立ち上がる。途端に強い雨が降り出してきた。傘を持っていなかった私はバスを降りるとひとまずバス停の屋根の下へと逃げ込む。まだ時間もあるから、止むまで様子を見ようかと考えながら立ち尽くしていた時だった。
「一緒に行こう」
バスで乗り合わせた女の子が赤い傘を私の頭上に差し掛けた。「あ......うん、ありがとう」
高校一年。街の木々の紅葉が散り始めた冬の前のことだった。

私はまだ知らない。

~~~

ひさかたの
雨も降らぬか
蓮葉
たまれる水の
玉に似たる見む

~~~

思い出の中の彼女は、いつも私に笑いかける。

彼女と初めて会った日のことを、私はよく覚えている。彼女と会わなければあの日は何の変哲も無い、ただ過ぎていくだけのありふれた日常の一片でしか無かったと思う。
歩き慣れた道から見える景色ですら聞き馴染んだ曲の歌詞ですら、よく知っている物語ですら、彼女と出会ってからは違ったものになった。
歌も、言葉も、人生の価値も、笑い方も、嘘も、優しさも、生き方も、彼女が教えてくれたその全てが今の私を創っている。

彼女は間違いなく、私の世界を変える一因だった。

いや、今でも彼女は私の世界のすべてと言える。

~~~

この駅に一人で来ることは初めてで、迷わない等に慎重に案内板を探し、少し歩いてはまた案内板を見るというのを繰り返しながら目的の店に向かっていった。
屋外に出ると刺すような冷たい空気が体をすり抜けて私は肩を窄める。灰色の空から細かい雪がゆっくりと降りてくる。首に巻いたマフラーに顔をうずめて、少し速い足取りで歩いていく。
目的の百貨店の前には広場があって、そこではよく大道芸だったり、路上ライブが行われたりしている。今日も誰かが歌っているのが遠くのほうからぼんやり聴こえた。近づくにつれ鮮明に聴こえてきたその歌声に私は思わず息をのんだ。澄んだ声質なのに力強く、伸びやかで美しい女性の歌声が冬の空気を伝い耳を通り躰中に染み渡っていく。
人集りの隙間から歌声の主の姿を覗く。艶のある長い黒髪に、白い肌、知的さと勇ましさのある眼差し。学生服を着てアコースティックギターを弾きながら歌う、美しい少女。その顔には見覚えがあった。前にバスで会って、傘に入れてくれた子だ。そしてあの時名前を聞きそびれたことを今更になって思い出す。
氷漬けになったようにじっと眺めているうちに曲が終わり、少女は深々とお辞儀をする。観客の一人が、少女の前に置かれたギターケースの中にいの一番にお金を入れると、つられたようにほかの観客もお金を入れる。「良かったよ」といった言葉を銘銘が言いながらお金を入れていき、少女は一人一人に感謝をしている。私と歳も変わらないのに、こうして音楽を通じて人を感動させることができることに、心を打たれた気分だった。

~~~

路上ライブが終わって帰る準備をしている彼女に私は声をかける。
「あの......歌、すごくよかったです」
前に話したはずなのに妙に緊張しいて無意識に敬語になっていた。
「さっき聴いてくれてたよね。ありがとう」
「よくここで歌ってるの?」
「うん。月に二回くらい。ちょっと遠いけど、学校の人に路上ライブしてること知られたくないからここまで来てる。.......まあ見られちゃったけど」
そういいながら彼女は少し恥ずかしそうな素振りを見せる。地面に置かれたボードが目に入る。そこにはユノと書かれている。
「ああ、それ芸名。師匠につけてもらった名前」
「そうなんだ。可愛い名前だね」
本名を聞こうとした瞬間、彼女はそれを予見していたように言う。
「自分の本当の名前好きじゃないんだ。だから前も君に名乗らなかった。ごめんね」
「ううん。気にしないよ」
彼女はギターを入れたケースのファスナーを閉めると、立ち上がってケースを背負う。ケースが大きい分、華奢な彼女がさらに小さく見える。
「ユマって呼んで」
「ユマ......」
私が名前を呟くと彼女は微笑んだ。
それが私が見た、彼女の初めての笑顔だった。

~~~

「北校舎の屋上で待ってる」
ユマからの連絡がきたのはそれが初めてだった。
去年末の路上ライブで遭遇したあの日に連絡先を彼女のほうから聞いてきたのだが、それから年も明けて冬休みが終わり、三学期に入ったころだった。

帰りのホームルームが終わって教室を出たところでかかってきた、彼女からの電話。一言だけ告げて、すぐに切ってしまった。よくわからないが、とにかく行ってみるしかない。

北校舎は学級ごとの普通教室がなく、音楽室、理科室、美術教室、コンピュータ室といった特別教室が集まっているので、本校舎に比べると人気が少ない。階段はあまり陽の入らずいつも薄暗い。
屋上の重たい扉を押し開くと、暗い塔屋に一気に光が入ってきて、、私は目を細める。そろりとコンクリートの床に足を踏み入れて数歩進む。
「やあ、久しぶり」
「ひ、久しぶり......」
振り返ると、そこにはベンチに腰掛けたユマがいた。彼女はベンチの空いた場所を手でとんとん軽くたたいて、そこに座るように促す。
「いつもここにいるの?」
「たまにね」
ベンチに座ろうと寄る時、ベンチ脇に立て掛けたギターケースが目に入った。
「ギター、学校に持ってきてるんだ?」
「うん。いつも登校したときに軽音の倉庫に置いてる。一応軽音部なんだ」
「部室でやらないの?」
「たまにバンドのギターが足りないとかって誘われて、やったりするけど基本的には一人が好きだから」
「へー......」
"一人が好き"という言葉と、この子の雰囲気的に軽音部の他の部員とは馬が合わないのをなんとなく察する。文化祭で見た軽音部のバンド演奏は彼女がやりたい音楽とは確かに違う。
「今日はどうして私を?」
私がそう尋ねると、ユマは少し遅れて答える。
「君に興味がある」
ユマは膝に肘を立て両手で頬杖をつきながら私の顔を覗き込む、彼女に見つめられて私は思わず頬が紅潮する。
「な、なんで?」
「うーん」
彼女は視線を遠くのほうに向ける。
「あの時......路上ライブの時、私を見ながら泣いていたから」

~~~

ユマが唄って聴かせてくれた沢山の歌を私は今でもありありと思い出せる。レコード盤に針を落としたみたいに、彼女の声が鮮明に聴こえてくる。
私は彼女の作る曲が好きだった。架空の街の歌だとか、離れ離れになった二人の歌だとか、彼女の曲には物語があって、それを彼女が語り手として歌う。私は歌を聴きながら目を瞑って頭の中に映像を映し出して、彼女の作る詩の世界に没入していた。
彼女は本が好きらしくて、その影響で自分で物語を作りたいと思うようになったというギターは小学生の時に離婚して疎遠になった元父親から、中学生に上がったころに譲り受けたものだと言っていた。

彼女の意志に寄り添うように、そして彼女を少しでも理解したくて、音楽を続けてきた。私は音楽家としての彼女の姿ばかり見てきた。私は、私が思っている以上に彼女のことを知らないのかもしれない。彼女は、自分には才能がないとよく零していた。ピアノをやっていた頃、母親にはほとんど諦められていたとか往年の音楽家の話をしては私はこんな曲を作れないとか、そんなようなことを。
それでも彼女は音楽に対する姿勢を崩すことは無かった。挫けることを知らず、ひたすらに心血を注いだ。眩しくて、気高くて、美しかった。私はただただその背中を追っている。どんなに歩いても、その距離は縮まった気がしない。

またユマのことを書いていた。
彼女を歌って、この傷を抉って、消えない過去を呪って、それでいつか何かが変わるんだと、漠然と思っていた。ユマも呆れるだろうな。こんなに過去ばかり引き摺って。
でも、もう何とも思ってないなんて大人ぶったところで、嘘でしかない。もっと大事なものをなくしてしまうような気がするんだ。
言いたいことなんて本当は何もないのかもしれない。このどうしようもない気持ちが、行き場のない思いが、無様に命が叫んでいるだけだ。

ねえユマ。こんな命がなければ、私たちは最初から何も失うこともなかったんだろうか。傷も、過ちも、悲しみも、苦しさも、嘘も、痛みも、知らずにいれたんだろうか。

~~~

「だいぶ上手くなった」
「そうかな......ありがとう」
正直言って、まだユマと比べると雲泥の差だ、それでもユマが褒めてくれる度に、もっともっと上手くなりたいという気持ちが強くなる。
彼女からギターを教わって半年程、ユマは、自分より上達が早いと言っていたけれど、やはり数年の差は簡単に縮められるものではないとリノは痛感していた。
「リノはきっと私より上手くなる。ギターも、歌も、曲作りも」
「そんなわけ......」
「ある」
ユマは遮るようにぴしゃりと言った。彼女のその目は至って真面目だった。その言葉に納得できるほどのものを自分は持っているとは思えないが、彼女の屈託のない眼差しにリノは根拠のない自信が少し湧いてくる気がした

「あの曲、聴かせて」
「うん」
リノは大きく息を吸い込み、吸った分だけ息を吐いて調子を整える。ギターを持ち直し、左手で曲の頭のコードを抑えて、ピックを持った右手を構える。なんだか緊張する。こんなところで緊張しているようでは、ステージに立ったら気を失うんじゃないかと思う。
白んだ日差しが屋根の隙間から溢れて、ギターのペグが光を反射させている。リノがもう一度息を吸うと、次の瞬間静かな空間をギターの音と歌声が覆った。ユマをそっと瞼を下ろして、彼女の歌と演奏に耳を傾ける。
それはリノが初めて作った曲。ユマはこれを最初に聴いたとき、体の内側から熱いものが込みあげてくるような感覚になった。心に響くというのはこういうことなのだと理解した。それと同時に、心の隅にはくやしさが滲んだ。

~~~

「将来の夢ってある?」
私は白紙の進路希望調査票を見つめながら言う。
ユマはギターを弾く手をすっと止めると、私の方を見た。ふふ、と何か含みのあるような笑みを見せる
「秘密」
「え」
予想外の応えに一瞬呆気にとられてしまった。
すぐにユマは止めていた手を動かし、これ以上の追及は許さないと言わんばかりにまたギターを弾き始める。同じ楽器なのに彼女の奏でる音は私のそれとは本当に違って聴こえる。どうしてこんな風に弾けるんだろう。なんてことを考えながら眺めていた。
「強いて言うなら......」
ユマは一呼吸おいて言う。
「音楽で世界を救う......とか?」
そういうとユマは、らしくないことを言ったという感じに少し照れたような仕草をして軽く笑ってみせる。私の知る彼女はあまり冗談を言うような人では無かったから、これまた呆気にとられる。
「まあ特に将来のことは考えてないよ」
それが嘘なのか本当なのか、それを判断するには彼女の見ている世界はあまりにも違って思えた。

--あの時、ユマは冗談のつもりで言ったのかもしれない。音楽で世界は救えないかもしれない。けれど、間違いなく私はあなたの音楽で救われたんだよ。

~~~

私は小さいころから数年前までピアノをやっていた。特別音楽が好きだったからじゃない。母がプロのピアニストだったこともあり、物心がつく頃には日常にはピアノに触れる時間が当たり前のようにあった。当初父はギターを薦めていて、ピアノをやらせるかギターをやらせるかで揉めたことがあったらしい。ピアノはずっと母に習ってはいたが、母が褒めてくれることはほとんど無かったと思う。始めた頃はそうでもなかったのだが、歳を経るにつれ母の期待するラインを越えられず、"    どうしてこんなに出来が悪い"と母が思っていることを子供ながらに感じていた。反対に、父はよく褒めてくれた。ピアノコンクールで銀賞を取った時も母は不満そうにしていた。私は母に認められたいという思いと父の応援を意欲にピアノを弾き続けた。高学年に上がる前に両親の離婚が成立し、私は母と暮らすことになった。ピアノは小学校高学年くらいまで続けたが、ある時からすっかり弾かなくなってしまった。ピアノを弾かなくなった私に母は何も言わなかった。

中学一年の夏の前のある日、私宛に手紙が届いた。差出人の名前は元父親だった。真っ白いシンプルな封筒には何も書かれておらず、中の便箋には数行の文章だけがあって、それはある場所と、そこにいる荻野という人物に会えということが示してあった。

私は後日その手紙に書かれている場所に向かった。電車を二つ乗り継いで、辿り着いたその場所は古い楽器屋だった。店内にはギターを中心に沢山の楽器が所狭しと置かれている、古びた印象の店先とは違い、店内は案外綺麗だった。
おずおずと店の奥のほうへ進んでいくと、作業台でギターのメンテナンスか何かをしている男性が見える。私は荻野という人物について尋ねようと声をかけると、その男性の胸元には荻野と書かれた名札がついているのが見え、私はすぐに父親の名前と、その娘だということを男性に伝える。すると待っていたよとひとこと言うと、奥の部屋から何かを持ってきた。それを私は父の自室で見たことがあった。浅い黒色をしたセミハードのケースになかには白いアコースティックギター。何度か私にそのギターを弾いて聴かせてくれたことを思い出して、少し寂しくなる。ギターの他には手紙らしきものとノートが入っていた。ノートはギターのコードや、弾き方のコツなんかが書かれていて、さながら手書きの教則本になっている。そして荻野さんは父の話をしてくれた。

母には内緒にしておこうと思った。あの母のことだから、これを見つけたら癇を立てるのは容易に想像できる。普段は自室のクローゼットに隠すことにする。思えば、母と夕食を一緒に食べることも滅多になくなった。昔から仕事人間で、父がいなくなってからはそれがさらに付勢した。母は厳しかったが、母なりに私のことを思ってくれていることは理解していたから私も余計なことは言ってこなかったし、やっかい事を持ち込みたくはなかった。

~~~

音の無い日常になれることはなかった。日を増すごとに、私の世界から色が失われていくのを感じていた。部屋の隅でそのままになっている壊れたギターを眺める。まるで自分を見ているような気分だった。もう直せないのだ。治らないのだ。
あれから母とは顔を合わせていない。言い争った日の夜、扉の向こう側で何かを言っているような気配を感じたが、その言葉を聞くことができない。そもそも母は私がこんな状態になってるだなんて思ってもいないだろう。
リノからの連絡も、ずっと無視してしまっている。最後に会ったのはいつだったけ、......もう三週間くらい前か。どんな顔をして会えばいいんだろう。

二回目の診察で回復の見込みがないと知った日、私は声が枯れるまで泣き叫んだ。自分がどんな声を出していたかもわからない。ふと、亡くなった父を思い出す。父がどんな思いを抱いて死を選んだのかわかった気がした。どうしようもない現実に直面した時に、死こそがそれを逃れる道だと気付いてしまった。

ベートーヴェンの『悲愴』が頭の中で流れる。"悲愴は音楽家の命である聴覚を失うことを悲しんだ嘆きの曲"とどこかで聞いたことがある。ベートーヴェンは若いころから難聴を患い、四十歳頃には全聲となったが、それでも作曲を辞めなかったという。

少し埃をかぶったピアノの鍵盤蓋を開く。
指を鍵盤の上に翳すだけで、手の震えが止まらない。大きく深呼吸して、小さい頃に何度も何度も練習した『悲愴』を弾き始める。
ずっと弾いていなかったのに、指が覚えているのかすらすらと鍵盤を押していく。
私の世界には音は鳴らない。確かにこの部屋に私の演奏は鳴っているのに、私にはそれが聴こえない。まるで私だけがこの世界から置き去りにされたみたいに。

私はもう歌えない。私はベートーヴェンのようにはなれない。

消えてしまいたい。

~~~

どんな世界も君がいるなら
生きていたいって思えたんだよ

~~~

僕の地獄で君はいつでも絶えず鼓動する心臓だ

~~~

満ちては欠ける月のように
この心もまた形を変える

~~~

今を この時の思いも
歌にしてとじ込められるかな

トーデス・トリープ

youtu.be

昔々、神様が人間の形をしていた頃のお話。

神様はとても大きな力を持っていました。
神様はとても優れた知恵を持っていました。

人間たちは神様を崇め、畏れ、震えていました。

ある日、優しい人間がお願いをしました。
永遠の命が欲しいと。神様はその願いを叶えてあげました。

ある日、慈悲深い人間がお願いをしました。
悪しきものに裁きをと。神様はその願いを叶えてあげました。

ある日、神様が最も愛する人間がお願いをしました。
自分も神様になりたいと。神様はその願いを叶えてあげました。

その日から、神様にお願いをする人はいなくなりました。

~~~

今日死んだっていいって
いつだってそう思ってた

~~~

―正しい人の生き方を―

人間は幸福を求める。それは自分が幸せじゃないから。彼もそうだった。自分の幸せのために命を削った。

彼は不幸だった。誰よりも勉強して取った、クラスで一番のテストの点数を褒めてくれる家族がいた。

彼は不幸だった。暖かい食卓を囲む家族がいた。おやすみを言ってくれる家族がいた。家族がいた。

彼は不幸だった。
その幸福に気づけなかったのです。

~~~

きみに触れて 心が芽生えて
生きていたいと願ってしまったんだ

~~~

―雨に濡れた路地裏の隅で―

焦げ茶色に煤けたパイプ達。無造作に張られた電線。息を漏らし続けるダクト。その人工的な樹海は街の喧騒から開放された、仄暗い路地裏。
煙草の吸い殻や、破けたゴミ袋から溢れた生ゴミをまたぎ、路地裏の奥へ進んで行った少年は慣れた足取りで目的の場所へ着くとそっとしゃがみ込む。
「今日はこれだけしか無いんだ」
少年は小さな声でそう言いながらカバンから取り出した数切れのハムを木箱の中へ置く。木箱の住民がそれの匂いを嗅ぐと、むしゃむしゃと食らいついた。
猫。一歳程の黒猫。
少年は初めてその猫と会った日から何度もここへ来ては餌を与えていた。しかし七歳の少年に猫一匹を養えるほどの金銭的な余裕は当然無い。少年の学校の給食や自分の家の夕食で出されたものをこっそりと持ち出してはこうして猫に食べさせていた。

そんな生活が一ヶ月近く続いた。
少年の家の者は、少年が食べ物をどこかへもっていっていることに気付いていたが、何も言わなかった。

その日も、少年は夕飯を食べ終えるとすぐに席を立った。
「ちょっと出かけてくる」
「お気をつけて。あまり遅くなりませんように――」
使用人の言葉を聞き終わる前に少年は家を出る。

その日は雨が降っていた。

~~~

甲斐無い心臓を差し出し
君を救い出せるすべを手に入れても

~~~

―醜いくらいに美しい愛で―

あの子は私を憎んでいるだろうか。

私は生きた人間でいうところの二十歳前後の精神を持っているらしい。実際、目覚めた瞬間から私は知識とともに、常識や観念なども植え付けられていた。
それ以前に私は存在しなかったはずなのに、所謂大人と変わらないほどの経験や知識を本能として持って生まれてきたのだ。
そしてこうして感情さえも持っている。
人工物なのに、私は痛みを知っている。傷を見れば、その苦痛を想像する。でも自分は"痛み"という物を感じることはできない。
人間のように他者の境遇や気持ちに思いを馳せ、喜ぶことも悲しむこともできる。しかし、涙を流すことはできない。
そんな矛盾した自分の存在を時には気味悪く思うこともあった。

偽物のくせに。――あの子の言葉が頭の中でぐるぐると回り続けている。
私は偽物だ。悲しいふりをしていただけだった。
いつの間にかあの子のことを理解しているつもりになっていた。
あの子と手をつないで歩いたのはいつが最後だろうか、知らないうちにどこかで大人になっていく。嬉しい反面、寂しくもある。あの子と暮らし始めてもう八年。使用人として、付き人として、家族として私はあの子と生きてきた。

呪われたあの子の人生に、せめて私だけは。

思いがけず突然に終わりは訪れる。いや――そんな予感はどこかでずっと鼓動を続けていた。

~~~

こんな醜い姿を
誰が愛してくれる?

~~~

―人生という檻の中で―

「それで君はそんな体に?」
「ええ」「......お気の毒に。先祖の過ちが今こうして君を苦しめている。」
「............」
「君がここへきた頃から、私は何度も君に会っていたのに、どうして気付けなかったのでしょうね」
「......?」
長髪の男は何かを考えるような顔をしながら少し視線を落とす。そのまま思いに耽るように黙る男に、少年が呟くような声で言う。
「僕はもう普通に生きて、普通に死ぬことはできないのでしょうか?」
「.......わかりません」
そう答えると、少年は驚きや落胆する表情さえも見せなかった。変わらない目線。しばらくの沈黙。男は窓のほうへと歩いていく。
「いつからか、君は皇宮に来る時いつもそのマスクを外していませんが、何か理由でも?」
「......数年前に元老院の一人に、君はご両親のどちらにも似ていないねと言われました。きっと悪気はなかったのでしょう。しかしそれから自分の容姿についてとても気になり始めました。父上に似ていないのは自分でも感じていました。僕が物心つく前に母はなくなりましたし、写真等も見たことがありません。ですから似ていないと言われた日から、僕は自分があの両親から生まれた子ではないのかもしれないという疑念が生まれ、僕と陛下の関係を知る人間にはできるだけ顔を見られないようにしてきました。僕も杞憂だと思いたかった。でも――」
「でも本当に血の繋がりは無かった......か」
少年は俯き、少し乱れた呼吸を整えるように、静かに息を吸う。しばらく沈黙が続いた。
「話を聞いてもらって、少し楽になりました。......ありがとうございます」
「いえ、力になれず申し訳ございません」
いつの間にか日が暮れようとしていた。
言葉を探すように、選ぶように黙る。
少年は何かを言いたそうな、何かを言ってほしそうな表情だった。
「......しましょう」
「え?」と少年は思わず声を漏らす。
あまりのことに聞き間違いだと思った。きょとんとする少年に背を向け、男は優しく言った。
「復習しましょう。私も、君と同じなのです」

~~~

―だれかの心臓になれたなら―

 

心臓が鼓動し、管を通り血液が全身を廻り、肉体は存える。保たれる。続いている。

どうやって心は在り続ける?

幸福と不幸を取り込み融けていく。形を変える。悲喜を噛み締め、吐き出し、また腹を空かせる。

どうやって心は在り続ける?

肉体と同じだ。原動力となる心臓が血液を運び、存える。保たれる。続いている。

その"心臓"とは?

形は無い。目には見えない。その命を必要とするもの。

君の心が壊れたり、失われていないのは、きっとどこかでその心臓がまだ動いているからだ。

君も誰かの心臓になれる。

どうか強く生きて。

人間らしい

youtu.be

humanly

~~~

知らず知らずのうちに蝕まれていたのだ。
奪われていたのだ。
愛されたいという、醜い感情が。 

~~~

電池が切れたみたいに動かなく
だんだんと体温が失われていくの

~~~

死ぬことより、生きることのほうが恐ろしいとさえ思う。僕にとってそれ

~~~

誰もが君のような人間だったなら、どれほど良

~~~

「人間らしい」なんて笑う

~~~

「本当の自分」なんて自分で決めるものでは

~~~

それが人の本質だと気付きた。
心の奥底に巣食う怪物が、

~~~

愛されたい。
彼女の漠然としたその望みを叶えるためにはどうすればいいだろうか。真に正しい答えは本当にあるのだろうか。
彼女は愛がどういうものなのかも知らない。そのか細い体を暖かく抱きしめてくれることだろうか?悲しみに暮れて流した涙を拭ってくれることだろうか?犯した過ちを許してくれることだろうか?欲しいものを与えてくれることだろうか?
愛がなんなのかわからない彼女には、きっと気付けない。ただそれを彼女が享受するにはあまりにも彼女は人の悪意にさらされ過ぎてしまったのかもしれない。
軽々しく"死にたい"なんて言って、心を慰めあっているような人間も、了見が欠如した"前向き"を押し付ける人間も、彼女には共感できない。
『人間らしく生きろ』
そんな些細な言葉も、彼女の小さな背に大きく伸し掛かっていた。

~~~

物心がついたときから自分は孤独でした。自分の心の内を曝け出すことのできる相手など、誰一人として現れることはありません。
自分と他人との違いは、幼い自分にとっては心地が悪いものだったのかもしれません。他の人達が好きなものを自分だけが嫌いだったり、他の人達が嫌いなものを自分だけが好きだったり、そういった"違い"を他人には隠すようにしていました。人間というのは集団の中で均された常識から外れた異物を嫌うのです。外見の違い、中身の違い......変わり者はからかいや除け者の対象になる。それを幼いながらにわかっていました。

それゆえに心の中を明かさず、他人を隔ててきました。この醜い心を見透かされないように――生きるために自分を殺しました。
そうして"人間らしい"自分を演じてきたのです。

~~~

あの日のことを、今でも私は覚えている。雨上がりの放課後、生徒の声、濡れたベンチ、水溜りが出来た運動場、網が破れたバスケットゴール、畳んだ白い傘、湿ったローファー、ありふれた夕暮れ。
友人が生徒会の雑務を終えるのを、校門の前に立って待っていた。通り過ぎていく生徒達も、一人佇む私も、ありふれた放課後の風景の一つ。記憶にも残ることのない、何の変哲もない日になるはずだった。

~~~

―謬錯―

空疎。それこそがわたしを表す言葉だ。

父も母も友達も先生も、わたしを『良い子』だと言う。優しく、真面目で、褒められる人間だと。
小さい頃からそれこそが人間で、目指すべき"人間らしい"人間なのだと思っていた。
思えばわたしの生活の上にあるものは、どれもわたしのものなんかじゃあない。ピアノだって書道だってバレエだって、気が付いたときには当たり前のものとしてあった。
それは父や母がわたしを"よく出来た子"として演出するために押し付けたものに過ぎなかった。好きも嫌いもわたしには委ねられてはいなかった。でも、頑張れば両親は喜んでくれた。幼いわたしにはそれが全てだった。両親の喜ぶ顔がとても誇らしかったのだと思う。
わたしの幸せはそこにあるのだと思っていた。そうして生きていればわたしは幸せで入れるのだと思っていた。

そうして、いつの間にか自分の中で作り上げた『人間の枠』からはみ出さないように生きてきたのだ。
だからこそ彼女が、わたしにはとても美しく見えた。深い深い闇の中に突如差した光のように眩しかった。羨ましかった。

すっと『よく出来た子』を演じ続けていた。評価のために、周囲が自分に求める人物像のために動いていただけ。
なんて愚かなんだ、それはただの機械じゃあないか。
わたしなんてどこにもない、好きも嫌いも、なにもかも。

『良い子だね』
それはあたかも呪いのように、わたしを縛りつけていた。

~~~

humanly

~~~

それ故に心の中を明かさず、他人を隔ててきました。
この醜い心を見透かされないように――生きるために自分を殺しました。
そうして"人間らしい"自分を演じてきたのです。

~~~

humanly

~~~

知らず知らずのうちに蝕まれていたのだ。
奪われていたのだ。
愛されたいという、醜い感情が。 

~~~

電池が切れたみたいに動かなく
だんだんと体温が失われていくの

~~~

死ぬことより、生きることのほうが恐ろしいとさえ思う。僕にとってそれ

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―浪々―
そうした他人への拒絶は、いつの間にか僕の感情を歪ませていくようになっていった。
嫌われたくないと、そう思っていたはずだった。だがいっそのこと、このどす黒くてドロドロな腹の内を誰かに曝け出して、拒まれ、否まれ、憎まれ、恐れられたい。そんな風に考えるようになっていった。
このどうしようもない醜い心を受け入れようとする自分と、消し去ろうとする自分。どっちが正しいのか、もうわからなくなっていた。
誰かの侮蔑と拒絶でぐしゃぐしゃにしてほしかった。そうしてそこに残るものはなんなのか、知りたかった。
もしもクラスのあいつに僕の秘密を打ち明けたら、どんな顔をするだろうか。クズと罵り、僕を憐れむだろうか、それとも逃げ出すだろうか。
もう僕には普通の人と同じような生涯を送ることはできないだろう。体の奥底から滲み出てくる衝動を抑えつけることができないのだから。
人間の枠からあまりにもはみ出してしまったこの僕を、きっと世間じゃあ「異常者」だとか「怪物」だとかって呼ぶのだろう。『人の性は悪なり、その善なるものは偽なり』――それが正しいというなら、歪んだこの感情はとても"人間らしい"と言えるのかもしれない。
悪だの善だの、正直言って僕にはどうだっていい。そうだろう。みんながミュージシャンやスポーツ選手やアイドルに憧れを抱くのと同じように、僕は殺人鬼に憧れたのだ。

~~~

―薄っぺら―

でも、それは違っていたのだろう。

この世界は要らないものがあまりに多すぎる。
どいつもこいつも、くだらない世間の一部に組み込まれた薄っぺらなハリボテだ。流されていくだけの死んだ魚だ。
群れて騒いでいる馬鹿な奴らと足並みをそろえるなんてごめんだ。俺はあいつらとは違う。
あいつらと同じになんかなりたくない。
周りの奴らが取るに足りない無意義な時間を過ごしている間も俺は歩を進めている。
あいつらとは違う。自分は特別な人間になる。

そんな思想に駆られていたのは、恐れていたからだ。

本当は気付いていた。
俺だって、俺の思う無価値な存在と何ら変わりはしないのに。それを認めるのが怖ろしかったのだ。
自分の世界に浸った、文学や音楽に耽った。あいつらには到底理解できないと、そんな風に思っていた。
実際は自分に酔っていただけだ。特別だと思い込んでいただけだ。
他人より本をたくさん読んだから何なんだ。言葉を多く知ってるから何なんだ。勉強をしたから何なんだ。
どれだけ崇高な考えを持ったって、僕はアリストテレスになれやしない。
本当に薄っぺらなのは俺のほうだ。
素晴らしく滑稽で、醜くて、惨めで、憐れな人間だ。

~~~

少女地獄

youtu.be

正しい生き方の一つも説けないまま、
無様にこの街を呪っているだけだ。
くだらない同情を求めているだけだ。

もうどうしようもないんだ。

どうしたって変わらない過去を恨んで、
どうしたって成れない誰かの人生を羨んでいる

~~~

%E3%81%8F%E3%81%86%E3%81%AF%E3%81%8F(くうはく)

~~~

命の重さは常に変わる。
月曜日。先週末に体調不良で欠席したまま土日を迎えて、四日振りの登校だった。久しぶり......というほどではないのだが、そう思うほどに毎日の学校生活が身体中に染み込んでいるのだと感じた。何もかもいつもと変わらない、それが一生続くと錯覚してしまうくらいに繰り返す日常にまた戻ったと思っていた。。でも今日という日は違った。
この学校の生徒の一人が亡くなった。みんなが悲しそうな顔をしていた。いつもはふざけたことしか言わないクラスメイトもさすがに茶化すこともしない。それはそうだろう。それが毎日ニュース番組やネットの記事で見るようなどこかの誰かのありふれた死だったなら、ほとんどの人は感情に浸ることもない。むしろ自分や身近な人じゃなくて良かった、なんて安堵している。いや、今もそうだろうけれど。それでも人の死というものに直面した体験がない人の方が多い高校生にとって、ましてや同じ年代の同じ学校に通う、ついこの前まで同じように授業を受けていた近しい存在の死は重いのだろう。
全校集会が開かれ、校長先生によるどこかで聞いたことのあるような"命の大切さ"を長々と聞かされていた。そんなことよりみんなが知りたかったのは、死んだその子の死因だとか理由だとかそういうことだったと思う。
次第にその件への哀惜や動揺が薄れていき、案の定学校では様々な憶測や噂が飛び交った。他殺、自殺、事故......私はその子のことを何も知らなかったからそういう推測も正直興味がなかった。
冷たい言い方だが、その時の僕にとってはさほど"重たい死"ではなかった。

~~~

%E3%81%8F%E3%81%86%E3%81%AF%E3%81%8F

~~~

ああでもないこうでもない
何が足りないのかもわからないんだ。

どうしてここにいるんだろう。
られない傷口を撫でてはその痛みに悶えている。
然とした焦燥感がじりじりと心の縁から染み込んでくる。

~~~

%E3%81%8F%E3%81%86%E3%81%AF%E3%81%8F

~~~

朝の日差しの眩しさと眠気に目を細め、また閉じようとするが時計の針が示す時間が一気に眠気を吹き飛ばした。目覚ましが鳴っていたのも気付かなかったらしい。憂鬱さがまとわりついた体を動かし洗面台に向かう。
鏡に映った自分の腫れたまぶたを見て、昨日、眠るまで泣き続けていたことを思い出し、それからまた自然に涙が溢れてきた。
二週間前、友達が亡くなった。私にとっては唯一無二の親友だった。
この世の終わりだと思った。いっそ自分も死のうかとも考えた。でもその前に確かめたいことがあった。
死体が発見された現場の状況から自殺の可能性が高いと警察は言っていた。彼女の母も私も、彼女が自殺するような子じゃないと考えていた。
もしも、彼女が誰かに殺されたのだとしたら、私は犯人を殺してしまいたいと思っている。そして私も死ぬ。
やり場のない悲しみに紛れて、冷静さを欠いた考えだとはわかってる。でもそれが残された私の役目だと思ったのだ。
もしも、その醜い感情がなければ私はとっくに命を絶っていただろう。彼女のいない世界で、彼女を忘れて生き続けることなんて私には到底できない。
あれから一週間。生きじごくなだけの日々は今日で終わりにする。
冷たい水で顔を何度も覆う。涙を拭って、赤らんだまぶたがひりひりと痛む。
静かに呼吸をする。
今日ははやめに学校に行こう。
リビングにいくと母親がわたしを気遣うように声をかけてきた。適当な返事をしながら朝食の置かれたテーブルのいつも自分が座る席に向かう。
テーブルの上に置かれた封筒が目に入って、すぐに手に取った。私宛で、差出人の名前はなかった。
酷く動揺した。手が震え心臓が早鐘のように打つ。
封筒には住所と宛名だけが書かれていたが、その字は見慣れた彼女の書いた字だと一瞬でわかった。
すぐに封を切って便箋を取り出す。

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命の重さは常に変わる。
月曜日。先週末に体調不良で欠席したまま土日を迎えて、四日振りの登校だった。久しぶり......というほどではないのだが、そう思うほどに毎日の学校生活が身体中に染み込んでいるのだと感じた。何もかもいつもと変わらない、それが一生続くと錯覚してしまうくらいに繰り返す日常にまた戻ったと思っていた。。でも今日という日は違った。
この学校の生徒の一人が亡くなった。みんなが悲しそうな顔をしていた。いつもはふざけたことしか言わないクラスメイトもさすがに茶化すこともしない。それはそうだろう。それが毎日ニュース番組やネットの記事で見るようなどこかの誰かのありふれた死だったなら、ほとんどの人は感情に浸ることもない。むしろ自分や身近な人じゃなくて良かった、なんて安堵している。いや、今もそうだろうけれど。それでも人の死というものに直面した体験がない人の方が多い高校生にとって、ましてや同じ年代の同じ学校に通う、ついこの前まで同じように授業を受けていた近しい存在の死は重いのだろう。
全校集会が開かれ、校長先生によるどこかで聞いたことのあるような"命の大切さ"を長々と聞かされていた。そんなことよりみんなが知りたかったのは、死んだその子の死因だとか理由だとかそういうことだったと思う。
次第にその件への哀惜や動揺が薄れていき、案の定学校では様々な憶測や噂が飛び交った。他殺、自殺、事故......私はその子のことを何も知らなかったからそういう推測も正直興味がなかった。
冷たい言い方だが、その時の僕にとってはさほど"重たい死"ではなかった。

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