ケセラリズム

―プロローグ―

二十世紀後半。技術革新の進展により此国は大きく発展。国の通貨は世界で最も価値が高いものとなる。
この『二十世紀のゴールドラッシュ』に乗じて一獲千金を求める外国からの移民も増加。不法労働等が問題となった。
国の発展に伴う人口の過密化、労働力の超過供給により貧富の差は広がり、政治と経済を担う新都市の影にいくつものスラム街が犇めくようになる。

各国の核開発競争が激化。東国との関係悪化、頻発する紛争、局地戦などにより、徴兵法が制定される。

産業革命から十数年経った頃。都市外は経済の逼迫から治安が悪化。同時期に致死性の高い伝染病が国内にて発生し、すぐにワクチンの製造が行われるが供給量が十分でない状況が続き、大規模な暴動や内乱が起こる。各主要都市に憲兵軍が配備される。
その後、国民全員が無償での抗ウイルス薬治療とワクチン接種を受けられるようになるが、伝染病の断絶までに犠牲となった数は人工の1%以上にも及んだ。

『二十世紀のゴールドラッシュ』から続いた時代の荒波は次第に収まり、安寧秩序が維持されていくことになる。

二十世紀末。スラム街を中心にとある勢力が拡大を続けていた。実態は不明。新興宗教団体やレジスタンスともいわれ、ある種の都心伝説として民衆の口承と化していた。国を脅かす存在とも噂されながらも団体名も活動内容も不祥であった。一部のマスコミに『カルト集団』として取り沙汰されるも、その不明瞭さから大きな話題にはならなかった。

19XX年 『カルト集団』が起こした事件により国の均衡は崩れ始める。

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人類が自らの意図によって造るもの以外に、人類の運命というものはない。
それゆえに、人類が没落の道を最後までたどらねばならないとは信じない。
――アルベルト・シュバイツァー

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―胎動―

「......高校生?ボス、さすがに僕も子供は殺せませんよ」
書類を手に取りながらトキシックは笑い混じりに言う。
「いや、暗殺じゃなくて誘拐だ。昨日都市の病院に運ばれたんだが、そこから連れ出してきてほしいんだ」
「誘拐ねえ......」
トキシックは書類に張られた写真をもう一度見る。第一印象は『目つきが悪い賢そうな普通の男子高校生』だった。何らかの情報を持っている......もしくは取引材料?そんなことを考えていると、ボスが話を始めた。
「十年前まで、この国は超心理学研究に注力していた。超心理学、PSI......いわゆる超能力を軍事的に利用する為に。諜報活動、暗殺を目的に、子供から老人まで、国中から素質のある人間を集めていた。不思議な力を持っているだの、霊感があるだの、そういった噂を聞きつけて半ば強引に研究へ連れ出していた。このプロジェクトは想像以上の成果を挙げた。しかし、彼らは自由を奪われた。軍にとってはあくまでも道具。特異な能力を持つ危険な存在なだけに、牙を剥くようなことがあってはならない。それをマインドコントロールによって支配したんだ。さらには能力を高めるために過度な精神鍛錬、脳への電磁波、様々な非人道的な実験が行われた」
ボスは短くなった煙草を灰皿の上で潰すと、すぐに次の煙草に火を付け、話を続ける。
「ある日のことだった。研究施設からの通信が途絶え、すぐに調査部隊が向かった。そこには研究員と、警備員の死体だけが残されていた。死因はすべて心臓麻痺。そして数十人はいたという被験者――超能力者が全員いなくなっていた。被験者に関する研究内容、個人情報を記した書類はすべて焼却され、データベースもすべて削除されていた。最高機密のプロジェクトであったが故、機密保持のためにデータは研究施設内にしか無く、関係者は残っていない。被験者の顔も名前も出身地を知る手段は無く、捜査は行われなかった。あるいは被験者達たちの報復を恐れたのか......。ともかくこの研究自体も冷戦が造った負の遺産として闇へと葬られた」
「......なるほど、この高校生は......」
今の話を聞いてトキシックは察する。
「そうだ、事件後に行方不明になった被験者の一人だ」

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―思念―

わたしの一番古い記憶は、わたしを畏怖の目で見る母親の顔だった。

この旅客機が離陸してから、どれくらいが経っただろうか。たくさんの人達と狭い機内に閉じ込められている苦痛、離陸後から続く締め付けるような頭痛。少しでも気を紛らわせるためにポータブルカセットプレイヤーで音楽を聴いていたが、ヘッドホンを通して耳に入ってくる好きな曲さえも煩わしいと思えてくる。

隣で眠る両親を見て、彼女はそっとため息をつく。
傍から見れば、それは家族旅行にでも映っただろう。だが違う。
両親にとってはこれは"見送り"だった。もう会うこともないかもしれないというのに、我が子との別れに惜別の情も無かった。むしろ、我が子を手放せる上に大金ももらえるのだと、得たり賢しといった感情だった。少女はそれを見抜いていた。だが、口にはしなかった。

地方都市でごく平凡な両親のもと生まれた少女は、ごく平凡な生活の中で育った。ある時、母親が持っていた祖母の遺品を手にした少女は、母親しか知り得るはずのない祖母の話を喋ったのだ。驚きとともに、恐怖を感じた。可愛い娘が突如として不気味な存在に思えた。すぐに夫に相談するが、君が話したことを忘れているだけだろう、と取り合ってもらえなかった。
それから少女の不可思議な力は時たま顔を見せるようになり、父親は当初は娘のその力に目を輝かせていた。しかし父親も自分の秘密を知られて以来、言い知れぬ恐怖を感じるようになり、両親も周囲の人間も少しずつ少女を怖れ、疎んじるようになっていく。
少女は物から人の残留思念を読み取る、通称『サイコメトリー』と呼ばれる力を持っていた。感じ取った思念や記憶は彼女の頭の中に映像や写真のように映し出される。幼い彼女には、それが自分の記憶なのか他人の記憶なのかどうかの判別ができなかった。
ある日、少女の噂をどこからか聞きつけたという男が訪ねてきた。男は国家警察を名乗り、少女の力を未解決事件の捜査に役立てたいと両親に説明した。多額の報酬も支払われるだろうという佞弁にのせられ、両親は男が持ってきた書類に疾う疾うと快諾のサインをしていた。
そしてしばらくして、航空券が届いた。

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―邂逅―

また、あの頃の夢を見た。
カーテンの隙間から差し込む光の眩しさに目を細めながら、小さくあくびをする。

混み合った駅の改札を抜け、いつもと同じ時間、同じ電車に乗る、そしているものように窓から見える街を眺めながら静かに到着を待つ。
この路線は沿線に学校が多いので、車内は学生で溢れる。同じくらいの歳の男の子を見て、ふと彼のことを思い出す。

思い出の中の男の子は、とても優しい目をしている。瞼の裏側に映った彼と目が合って、わたしはなんだか泣きそうになる。
もう十年になる。彼とは、子供の頃に住んでいた施設内で出会った。最初に話しかけたのはどっちからだったっけ......忘れた。似た境遇に育ったわたしたちはお互いに唯一の理解者になった。すがるような親近感で、私たちは歩み寄ったのだと思う。
彼と会うまでのわたしは、心のどこかが欠けてしまっていたようだった。私は忌み嫌われる存在なのだと、恥ずべき存在なのだと、だから両親に捨てられたのだと、自分を責め続けていた。泣くことすら忘れていた。ただ絶望するだけの暗い地獄の底で救いの手を差し伸べてくれた彼は、私にとっての生きる理由になった。遠ざかり、薄れゆく子供時代の記憶の中でも、彼への気持ちだけはありありと思い出せる。
彼は今どうしているのだろう。

八時二十分。普段と変わらない時刻に教室に着き、席に座る。教室の後ろで談笑するクラスメイトの話が耳に入ってくる。
「ねえ、先週転校してきたっていう二年生知ってる?」
「あ!あのめちゃくちゃかっこいい子でしょ?見た見た!」
マニュアル通りな女子高生の会話。口を開けば異性の話、恋愛の話。まあ、異性のことを考えていたのは私も同じか。そんなことを考えているうちに先生が来て朝のホームルームが始まった。

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放課後、吹奏楽部に所属するわたしは今日も個人練習のために倉庫から楽器を持ち出し、人気が少ない校舎の裏に向かう。
階段を降りたところで、校舎裏の方から声がして足を止めた。いつもの自分だけの空間に誰かが踏み込んでいることにほんの少し不快感を覚えながら、そっと物陰から様子を見る。そこにはへたり込んだ男の子と、それを囲む男子生徒三人の姿があった。誰が見てもそれは喧嘩......いや、暴力行為だ。
リーダー格であろう大男は、男の子の胸ぐらを掴む。
「わかったか転校生。あんまり目立つ真似はするなよ」
そういうと乱暴に突き放し、三人はその場を去っていった。わたしは無意識のうちに息を殺していたことに気づく。
すぐに男の子のもとへ駆け寄った。
「大丈夫?......すぐに保健室に――」
「いえ、気にしないでください......」
男の子は痛みを堪えるようにしながら立ち上がり、乱れた服を整えると、鞄を肩にかける。
「心配をおかけしてすみません」
一礼し、背を向けて歩き出す男の子に、わたしは何も言えなかった。大丈夫じゃないのは明らかだろう。もっと早くここにきて、止めてあげられていたら......。
後味の悪さを噛み締めながら、わたしはベンチに楽器を置いてその隣に腰を下ろす。
ふと地面を見ると何かが落ちているのに気付いた。近寄り、拾い上げてみる。それは万年筆だった。エングレーブが施され、荘厳で高貴な雰囲気を纏っている。
さっきの男の子のものだろうか、間違いなくあの野蛮な三人組のものではない。ともかく、こんな高価そうな物だ。無くして困っているに違いない。
私は久しぶりに"あの力"を使うことにした。これに宿る残留思念から、きっとヒントが得られるはず。
万年筆を手で包み込むようにして持つ。意識を集中させる。頭の中で映像が映し出される。
《これを持っていれば、いずれまた会える......》
男性が喋る声が聞こえた。靄がかかったように姿はよくわからない。差し出された万年筆を受け取るのは小さな手。子供だ。
《大丈夫。俺はそう簡単に死なないさ》
そういいながら、男性は子供の頭を撫でる。
子供の顔を確認する。......え?
それは......忘れもしない、私の記憶の中の存在。十年以上前に離れ離れになった彼だった。

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decoder

世界 序

ネビュラの螺旋

DThird Eye

Appoptosis

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―44―

もう自分を欺くのは止めにしよう。
「それでも、わたしには戦う理由があります」
「............」
ガスマスクの男は、今にも射抜かんばかりの精悍な目でわたしを見る。思わずたじろぎそうになるが、決して視線は逸らさない。
「んー、そうだなぁ」
男は銃を取り出す。それは回転式拳銃、いわゆるリボルバーだ。蓮根のように穴の開いた円筒の弾倉が回転することで連発を可能にした拳銃。
そして指先に持った弾をこちらに見せながら言う。
「僕たちの仲間になるにはそれなりの覚悟と運が必要でね。君にそれがあるのかをこれで試してもらおうと思う」
一発の弾丸をリボルバーに装填し弾倉を回転させ、わたしの目の前に銃口を向ける。
「一発だ。この銃には一発だけ弾が入っている。こいつを自分の頭に向けながら引き鉄を引いてもらう」
「......ロシアンルーレット......」
映画なんかで見たことがある。命を懸けた運試し。
「この銃に込められている弾丸の数は六発。つまり六分の一の確率で弾は発射され、君は死ぬ。......やるかい?」
構えていた銃を私の腹の前に差し出され、両手で受け取る。想像以上の重さだ。引き鉄を引いて死ぬ確率は六分の一......いや、生きるか死ぬかのどちらかだ。

トキシックは本当にロシアンルーレットをさせるつもりなど無い。どうせできやしない、これで諦めて帰るだろうと思って提案した。いくらやる気があっても、こんなか細い女子高生など戦力にならないし、むしろ足手まといになると考えていた。
「本当に仲間にしてくれるんですよね」
少女は俯きながら尋ねた。
予想外の言葉に驚き、一瞬返答が遅れる。
「......覚悟があるのならね」
トキシックがそう言うと、少女は顔を上げ、銃をこめかみにそっとあてがう。
まっすぐに前を向き、撃鉄を起こす。回転弾倉が回る。引き鉄に指をかける。それに驚く周囲とは裏腹に、少女は猛々しい目で堂々と銃を構えている。

そして少女は引き鉄を引いた。

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―戒律の隷従―

闇が広がっている。意識を取り戻した時、少年は闇の中にいた。随分と長い間眠っていた気がする。そして少年が最初に認識したのは、ここは自分が知らない場所で、椅子に体を縛り付けられているという事。長い眠から目覚めたばかりで意識が鈍っていたからなのか、ただ単に肝が据わっているからなのか、その異常性に気付いても少年は落ち着いた様子だった。
次第に暗闇に目が慣れてきて、周囲を見渡してみる。アンプ、スピーカー、照明機材、鉄柵......。ここはライブハウスだ。ステージと客席の距離も近い小さな会場。そのステージの中央――バンドのボーカリストの立ち位置、客席から最も視線を集められる場所で椅子に縛り付けられていた。
どうにか逃げ出せないか、藻掻こうとするが縛られた体はびくともせず、動くほどに手足に括りつけられた荒縄が皮膚を擦り、痛むだけだ。
その時だった。
目を覚ましたことに気付いたのか、ここに足音が近づいているのを少年は感じた。やがてライブハウス会場の奥の扉が開き、誰かが中に入ってくる。同時に少年を照らすようにステージのライトが点灯する。そして誰かがステージ前に向かってきた。
「おはよう。君が起きるのをまっていた」
その声の主は、下顎から額まで覆ったガスマスクを装着していた。マスク越しにこもった声だったが、二十代以上の男の声に聞こえた。少年は男に対して恐怖心ではなく強い"違和感"を覚えていた。
「......これは誘拐ですか?」
冷静な表情で少年は問う。
「いや、僕達は君に助けてほしいんだよ」
助けてほしいのは俺の方だと少年は思った。
"僕達"ということはこれはこの男一人の犯行ではないわけか。強引に逃げ出すのは難しいかもしれない。少年は一先ずこの男と話をするしかないと考えた。
「俺に何か用が?」
「君の協力が必要なんだ。僕たちは君がどういう人間か理解しているよ」
その言葉に少年は僅かに動揺する。
「......何のことですか。俺はただの高校生です。何もできません。早く家に帰らせてください。」
ふっ、と男は小さく笑った。
「まあそう言わないで。君は三日前に一度死んだんだよ。覚えてないかい?その死に損なった、無益に投げ捨てるはずだった命を今度は有益に使って欲しいんだ」

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三日前に一度死んだ。その言葉を少年はすぐに理解した。いや思い出した。
自分の部屋で、首を吊ろうとしている自分の姿が、頭に浮かび上がる。結んだ縄の輪に首を通し、足元の椅子を蹴った。そこで意識は途切れている。
自分は死ねなかった。
少年は小さな溜息をつく。それは落胆か安堵か、自分にもわからなかった。
「君は部屋で意識を失った状態で家人に発見され、すぐに病院に運ばれた。残念な事に、君は死ねなかった......。縄を結んでいたロフトの柵が折れていたようだね。縄の圧迫による頸動脈洞反射で意識を失った直後には柵が折れていたんだろう。後遺症も無い。良かった良かった」
小馬鹿にするように手を軽く叩く。
「それで、俺が意識を失っているうちに病院から俺を拉致したわけですか......」
「誰が見ても自殺未遂だったからね、そんな精神状態の人間を普通の病院に置いてるわけもなく、君はすぐに閉鎖病棟へ移されることになった。そこを僕たちが連れ出したんだよ」
男はステージ前の鉄柵に肘をかけ、背を向けながら話す。連れ出したのは当然のこととでも言わんばかりの態度だった。
「......協力が必要というのは?」
「僕たちはこの国を、民を、呪縛から解き放つのが目的なんだ」
男の声色が明らかに先程とは変わった。
「呪縛?」
少年がそう聞くと、今度はこちらを向いて言う。
「そうだよ。この国はすでに毒されている。......統制社会。この国に真の自由なんてものはもう無い。『支配人』が監視する世界に人々は生かされている。何の疑いも持たず。それが平和だと信じているんだ」
「統制社会?支配人?......陰謀論ですか?」
当然、少年は男の言うことを素直に信じるはずはなかった。こんな風に自分を拉致、拘束。おまけにガスマスクに黒装束姿の怪しい男の言うことなど尚更だ。
「信じられないのも無理はないよ。だけど事実なんだ。この国を動かしてるのは大統領でも、政府でも、ましてや国民でもない。軍事も政治も経済すらも、ごく少数の強大な権力者たちによって運営されているんだ。国民はその支配人が作る戒律の隷従になった」

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これは洗脳か?いや、男の言葉を真実とするのなら、洗脳を解こうとしていると言った方がいいのか。
「それが事実として、僕には何も関係が無いです」
先生の言葉に、男は数秒間黙り込む。それを言うべきかどうか考えたが、伝えるべきだと思った。
「君の母親と妹が死んだのも、支配人による計画のせいだとしてもかい?」
「......どういうことですか」
誰が聞いてもわかるほどに少年は動揺した声で言った。
「十年前、国内で発生し、大量死を引き起こした伝染病......あれも作為的に仕組まれたものだよ」
確かにその伝染病で、少年の母親と妹は命を落とした。十年が経っても、やり場のない悲しみが少年を苦しめていた。病気だからどうしようもなかったんだと受け入れているつもりでいた。様々な感情が錯綜して少年は口を閉ざす。男は話を続ける。
「いわゆる生物兵器だね、民族浄化ってのもあったけど、本当の目的は殺戮じゃない。その伝染病のワクチン接種こそが支配人の狙いだった。ばら撒かれたウイルスによって死の恐怖を植え付けられた国民は、誰もがワクチンを欲しがる。そのワクチン接種の際に『UMIDチップ』と呼ばれる細胞サイズのマシンを埋め込んだ。すでに発症し、隔離病院で治療していた患者も同様に。それからは国民全員がチップを通して監視、統制されている。そのシステムを生み出すために死に至る病は作られた。そして――」
「俺の家族は犠牲になった......ということですか」
男が言う、支配人の監視統制システムが本当なら、そんなものの為に俺の家族は奪われたのか。少年の心にふつふつと感情が湧いてくる。
「俺は......どうすれば――」
その瞬間、男は柵を踏み越えステージに上がり、少年の前に立つ、男は冷たく光る鉄の塊を少年の額に突きつける。少年はその鉄の塊を初めて目にしたが、それが銃だとすぐに理解した。
「協力する気になったかい?」
「脅しですか?」
男は引き鉄に指を掛けている。それでも少年は臆する様子を見せない。
「君はあの日死んでいるはずだった。今度こそ、君が望んだとおり死ねるよ。僕が引き鉄を引けば簡単にね。それに、僕達も秘密裏の活動をしているんだ。ただで返すわけにはいかない」
この男は本当に撃つつもりだと、少年は理解した。

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ガスマスクのゴーグル越しに見えた男の目は、人を殺す覚悟を秘めた目をしていると感じた。
「もちろん、僕たちが掲げるのは革命なんて綺麗なものじゃあない。目的に為に汚れ仕事や、テロまがいな事もする。......金、復讐、大義、みんなそれぞれ動機は違うけれど、目指しているのは同じだよ」
顎から汗が流れ落ちるのを少年は感じた。
男は一呼吸置き、話を続ける。
「君は命も、復讐心も捨てるのかい?君は憎んでいるはずだ。君の家族を奪った世界を、君を暗がりに追いやった世界を」
男の言葉で少年は頷く。
家族を奪われ、強いられた孤独を。異端者として虐げられた苦痛を、少年は思い出していた。
「俺が死のうとしたのは......人生に、世界に絶望したからだ。そうして俺は一人の人間の命を奪った。でも生きている。この世にしがみついた亡霊だ」
哀しみと絶望が形を変えていく。無数の信管が取り付けられた爆弾のような感情がそこにはあった。それは自分すらも壊しかねない巨大なもの。怒り、憎しみ。
男が自分を利用しようとしているように、自分もこの男を利用すればいい。もうなんだってやってやる。仰せのまま。
「やります。俺にできることがあるなら」
少年は顔を上げて言った。
「......ありがとう」
男は銃を下ろす。
国を呪縛から解き放つとか、そんなことはどうでも良かった。結果的に、この男の思惑通り協力することになるのは不服ではあるが。
男はナイフを取り出し、少年を縛り付けていた縄を切る。
「手荒な真似をして悪かった。でも、こうでもしないと君は聞かなかったろ」
そう言いながら手を差し出す。少年はその手を借りるようにして立ち上がる。長時間拘束されていたせいで体の節々が痛む。
握手をしながら、男は言う。
「あらためて、ようこそ......ネビュラの螺旋へ」
「ネビュラの螺旋?ああ、あなた達の組織ですか」
悪の組織らしい、胡散臭い名前だと思った。
握っていた手を解くと、男は静かに客席側へと降りる。
「それで、あなたの名前は?」
「ここではみんな、偽名や暗号名で呼び合う。組織はあくまでも影の存在だし、構成員にも私生活、表の顔があるんだ」
男は振り向きながら言う。
「トキシック......と呼んでくれ」
「......防毒マスクをつけているのに、名前は毒ですか」
思わず笑ってしまう。
「じゃあ、君の方はどうしようかね......」

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